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隅田川テラス〜臨海公園〜門前仲町交差点

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永代通り 永代橋東詰 国重要文化財 永代橋の碑 永代通り 永代橋東詰 国重要文化財 永代橋の碑 

現在架けられている橋の経緯の紹介である。
永代橋は、関東大震災復興事業によって建設され大正十五年(一九二六)一二月に竣工した。
隅田川テラス(東岸) 永代橋西詰の案内板 隅田川テラス(東岸) 永代橋西詰の案内板 

西岸の地図と左右が反転している。

赤印が現在地の永代橋で、直ぐ左下(上流)に注ぎこむのは日本橋川、上流の首都高深川線と共用するのは隅田川大橋である。
隅田川テラス(東岸) 永代橋西詰の案内板 隅田川テラス(東岸) 永代橋西詰の案内板 

@ 永代橋

 永代橋は、元禄年間に「深川の大渡し」に代わって架けられ、佐賀町付近(現在の佐賀一丁目付近)が昔、永代島と呼ばれていたため、永代橋と名付けられました。橋の両際には、広小路を設けて橋番屋が設けられ、高札を立て、武士、医師、出家神主以外の通行人から橋銭を取る有料橋でした。上流の清洲橋の女性的な優美さに相対し、男性的な重量感を持っています。
 隅田川と一体となって地域のランドマークとしての役割を果たすとともに、建設された時代の特色を表していることから、1999年に東京都選定歴史的構造物に選定されました。
隅田川テラス(東岸) 永代橋西詰の案内板 隅田川テラス(東岸) 永代橋西詰の案内板 

隅田川の呼び名

 本来は荒川ですが、荒川放水路が荒川となって以来、荒川下流の支流の部分だけの名称になっています。住田川・隅田川・角田川とも書き、澄江・墨水ともいいます。さらに、別称には須田川・あすだ川・染田川・大川・両国川・みやこ川・浅草川の名もあります。
 一つの川にこれほど多くの名称をもっていることは、いかに深く人びとの生活に溶け込んでいたかを示しています。
(東京下町Sエリア情報ページ 下町探偵団より提供)
隅田川テラス(東岸) 隅田川沿いを南下 隅田川テラス(東岸) 隅田川沿いを南下 

隅田川は高層マンション群が建ち並ぶ月島リーバーシティ21で左右に分かれる。右は本流で中央大橋に向かい、左は派川(隅田川)となって清澄通りの相生橋に向かう。

左に階段があるが、ここでは上らずに先の大島川水門に向う。ここも東京メトロ配布の地図だけでは間違えやすいポイントである。
隅田川テラス(東岸) 大島川水門手前の階段を上る 隅田川テラス(東岸) 大島川水門手前の階段を上る 

大島川(西支川)が隅田川に合流する地点にあり、ここから階段を上り、大横川沿いの桜並木を歩く。
隅田川テラス(東岸) 大島川水門 隅田川テラス(東岸) 大島川水門 
隅田川テラス(東岸) 大島川水門 隅田川テラス(東岸) 大島川水門 

 隅田川と荒川に挟まれた江東三角地帯は、ゼロメートル地帯といわれ、満潮時には大部分が水面下となり、過去にたびたび大水害に見舞われてきました。外郭堤防・水門・排水機場は、高潮や洪水、津波などの水害から、この地域の安全を守るはたらきをしています。
大島川水門 永代公園 界隈案内図 大島川水門 永代公園 界隈案内図 

大島川水門から堤防を越えた所に小公園の永代公園があり、そこに界隈の案内図がある。

この地図でこれから歩くコースを確認する。
大島川水門 永代公園 界隈案内図 大島川水門 永代公園 界隈案内図 

門前仲町の歴史

 江戸時代の門前仲町は、永代寺(現在の永代寺跡付近)の門前に開かれた町であり、入り口には鳥居(−の鳥居)と火の見櫓が建っていました。町中には茶屋が建ち辰巳芸者が待ち受け、それを目当てに川向こうから遊びに来る人で賑わう地でありました。富岡八幡(富岡一丁目)では、相撲興行が行われ、伊能忠敬、紀伊国屋文左衛門などの有名人が住む町でした。
大島川水門 永代公園 界隈案内図 大島川水門 永代公園 界隈案内図 

@真田信濃守ゆかりの地

 真田信濃守幸貫は、白河藩主松平越中守定信の二男で1823年、真田家の家督を継ぎました。1841年に幕府の老中兼海防掛となり、日本の沿岸防衛について強化を主張するとともに開国を説きました。
 性格は剛毅果断、文武を奨励し産業の開発が富国強兵の道であるとして、その興隆に努めました。各方面の人材養成に着眼し、佐久間象山、村上英俊の逸材を登用するほか、鉄砲の術については特に留意し、晩年には松代藩で新式の大砲や小銃を常備し、その武力は列藩随一と恐れられました。
大島川水門 永代公園 大島川水門 永代公園 
永代公園から右折、永代河岸通りへ 永代公園から右折、永代河岸通りへ 
永代河岸通り 大島川(西支川)に架かる巽橋 永代河岸通り 大島川(西支川)に架かる巽橋 
永代河岸通り 巽橋を渡り右折 永代河岸通り 巽橋を渡り右折 

青い鉄橋は越中島連絡橋で、渡って右折しヤマタネの敷地沿いに歩いて越中島公園に向かう。越中島連絡橋に隣接して練兵衛橋が架かるが、ヤマタネに行くための専用橋である。
永代河岸通り 巽橋を渡り右折 永代河岸通り 巽橋を渡り右折 
練兵衛橋手前で左折、臨海公園へ 練兵衛橋手前で左折、臨海公園へ 

練兵衛橋はヤマタネに行くための専用橋である。
大横川沿いの桜並木の臨海公園を歩く 大横川沿いの桜並木の臨海公園を歩く 

裸木の桜並木であるが、満開になったら見事だろうと思う。
大横川沿いの桜並木の臨海公園を歩く 大横川沿いの臨海公園の桜並木を歩く 

右側にはヤマタネの建物が並ぶ。
大横川沿いの桜並木の臨海公園を歩く 大横川沿いの臨海公園の桜並木を歩く 
大横川 臨海公園 越中島橋 大横川 臨海公園 越中島橋 
臨海公園前交差点を過ぎ、大横川沿いに歩く 臨海公園前交差点を過ぎ、大横川沿いに歩く 

臨界公園前交差点の左は永代河岸通りで、右には越中島橋がある。
臨海小学校前の大横川沿いに歩く 臨海小学校前の大横川沿いに歩く 

位置から言っても海に臨んでいないが、「臨海」である。
突き当りの黒船橋北詰で左折、清澄通りへ 突き当りの黒船橋北詰で左折、清澄通りへ 

右には大横川に架かる黒船橋があり、左直ぐに門前仲町交差点がある。
清澄通り 門前仲町交差点で右折、永代通りへ 清澄通り 門前仲町交差点で右折、永代通りへ 



 
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