万歩計 トップ 散策点描 目次 東京メトロ沿線ウォーキング(再訪)+東京まちさんぽ 目次  第15回 賑わいの神楽坂から文豪の街へH211107 目次  神楽坂〜早稲田大学〜護国寺駅 目次  江戸川橋通り〜早大通り〜早稲田大学    ページ ラスト 


万歩計



(Since H14-10-28)

目次









掲示板(一言どうぞ)


江戸川公園〜音羽通り〜護国寺駅

【関連サイト】   前回)秋の気配を感じながら、賑わいの神楽坂へ(H19−10−20)
有名仏閣 伝通院・護国寺


 直前のページに戻ります

写真の一覧表へ 



神田川 江戸川公園 神田川 江戸川公園 

駒塚橋を渡り右折、神田川沿いを東進する。
神田川 江戸川公園 関口芭蕉庵 神田川 江戸川公園 関口芭蕉庵 

 この地は、江戸前期の俳人松尾芭蕉が、延宝5年(1677)から延宝8年(1680)まで、神田川改修工事に参画し、「龍隠庵」と呼ばれる庵に住んだと伝えられている。後に世人は「関口芭蕉庵」と呼んだ。
 享保11年(1726)、芭蕉の33回忌に当たり、芭蕉の木像を祀る芭蕉堂が建てられた。その後、去来・其角・嵐雪・丈草の像も堂に安置された。
 芭蕉は、早稲田田んぼを琵琶湖に見立て、その風光を愛したと言われている。そこで、寛延3年(1750)宗瑞・馬光らの俳人が、芭蕉の真筆「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」の短冊を埋めて墓とした。この墓を「さみだれ塚」と称した。塚は芭蕉堂の近くにある。
 芭蕉庵の建物は、昭和13年(1938)3月、近火で類焼したが、同年8月再建された。しかし、昭和20年(1945)5月の戦災で焼失した。
 敷地内には、芭蕉堂・さみだれ塚・朱楽菅江歌碑・伊藤松宇の句碑などがあり、往時をしのぶことができる。
神田川 江戸川公園 関口芭蕉庵 神田川 江戸川公園 関口芭蕉庵 
神田川 椿山荘 神田川 椿山荘 

椿山荘は目白通り沿いの台地上にあるが、下って神田川に至る。
神田川 椿山荘 冠木門 神田川 椿山荘 冠木門 
神田川 椿山荘 冠木門 神田川 椿山荘 冠木門 

椿山荘の庭園で、坂を上って行けば目白通りの正門に出ることが出来る。
神田川 江戸川公園 神田川 江戸川公園 
神田川 神田上水取水ロ大洗堰跡 神田川 神田上水取水ロ大洗堰跡 

 徳川家康の江戸入り(天正18年一1590)の直後、井の頭池から発する流れに、善福寺池、妙正寺池の流れを落合であわせ、関ロで取水して水路を定めたのが神田上水である。
 大洗堰で水は二分され、余本は江戸川に落し、他は上水として本戸殿に給水し、神田稿門外付近で二筋に分かれた。一っは、内堀内の大名屋敷に給水し、他の一つは本町方面、日本橋で北の町屋に給水した。
 大正末年には、水質・水量とも悪くなり、昭和8年に取水口はふさがれた。
 上水道として最も古い神田上水の、取水ロである大洗堰の跡は、永く歴史に残したいものである。
神田川 江戸川公園 大滝橋 神田川 江戸川公園 大滝橋 

大滝橋に神田上水取水ロ大洗堰跡の説明板がある。
神田川 江戸川公園 神田川 江戸川公園 
神田川 江戸川公園 神田上水取水口の石柱 神田川 江戸川公園 神田上水取水口の石柱 

神田上水は関口の大洗堰(現在の大滝橋あたり)で水位を上げ、水戸上屋敷(現在の後楽園)に入れ、そこから地下の樋で神田、日本橋に給水した。

この大洗堰に水量を調節する「角落」と呼ばれる板をはめ込むための石柱があった。昭和8年の大洗堰廃止により、ここに移設した。
神田川 江戸川公園 大洗堰の由来碑について 神田川 江戸川公園 大洗堰の由来碑について 

 かつて、この地には神田上水の堰があり、古来より風光明媚な江戸名所として知られていました。上水の改修工事には俳人松尾芭蕉も関与し、その旧居(芭蕉庵)は四〇〇m程上流に復元されています。
 大正八年、東京市はこの地を江戸川公園として整備し、史跡(大洗堰)の保存に努めましたが、昭和一二年になり江戸川(神田川)の改修により失われたので、翌年、堰の部材を再利用して由来碑を建てました。
 左の碑文は、その文面です。由来碑はすでに失われましたが、近年この碑文のみが見つかりましたのでここに設置致しました。
神田川 江戸川公園 大洗堰の由来碑について 神田川 江戸川公園 大洗堰の由来碑について 
神田川 江戸川公園 神田川 江戸川公園 

江戸川橋の目白通り沿いにある。
神田川 江戸川橋交差点で左折、目白通りへ 神田川 江戸川橋交差点で左折、目白通りへ 
目白通り 目白坂下交差点から見た目白坂 目白通り 目白坂下交差点から見た目白坂 

この交差点で目白通りは左折し、ここからは音羽通りとなる。目白通りはここから目白坂の急坂を上り、上りきった所に椿山荘がある。
音羽通り 鳩山会館(音羽御殿) 音羽通り 鳩山会館(音羽御殿) 

鳩山一郎元首相から3代に亘って政治家を出している鳩山家の邸宅である。鳩山一郎の父も東京府の議員だった。
音羽通り 鳩山会館(音羽御殿) 音羽通り 鳩山会館(音羽御殿) 

ぼんぼん気質丸出しの鳩山由紀夫が首相になって、観光バスが軒を連ねるようになった。
音羽通り 鳩山会館(音羽御殿) 音羽通り 鳩山会館(音羽御殿) 
音羽通り 光文社 音羽通り 光文社 
音羽通り 講談社 音羽通り 講談社 
音羽通り 突き当たりに護国寺が見える 音羽通り 突き当たりに護国寺が見える  
護国寺 護国寺 

護国寺は音羽通りが不忍通りと交差する護国寺前交差点前にあり、左に有楽町線の護国寺駅の入口がある。

 護国寺は真言宗豊山派の大本山。天和元年(1681)、徳川5代将軍綱吉が生母桂昌院の願いにより創建し、後に将軍家の武運長久を祈る祈願寺となった。元禄時代の本堂、近江三井寺より移築された月光殿は、ともに国の重要文化財に指定されているほか、仁王門、惣門など創建当時を偲ばせる堂宇が数多くある。
 明治期以降は著名人等の墓所となり、三条実美、山縣有朋、田中光頭、大隈重信などが眠る。
東京メトロ(旧営団) 有楽町線 護国寺駅 東京メトロ(旧営団) 有楽町線 護国寺駅 



 
万歩計 トップ 散策点描 目次 東京メトロ沿線ウォーキング(再訪)+東京まちさんぽ 目次  第15回 賑わいの神楽坂から文豪の街へH211107 目次  神楽坂〜早稲田大学〜護国寺駅 目次  江戸川橋通り〜早大通り〜早稲田大学    ページ トップ