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後楽園〜千川通り〜播磨坂桜並木

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後楽園駅〜播磨坂〜桜が満開の六義園〜本郷通り〜不忍通り〜湯島天神〜日本サッカーミュージアム〜白山通り〜後楽園駅(総行程 11.0km)

【撮影記録】
平成22年 4月 3日 曇り後晴れ
09:45〜14:30(昼食 15分) 20,600歩(概算 14.4km)

昨年まで行われていた自由参加の東京メトロ沿線ウォークの後継イベントで、事前予約制になっている。
千川通り 東京メトロ(旧営団) 南北線 後楽園駅 千川通り 東京メトロ(旧営団) 南北線 後楽園駅 

千川通りに出て右折、北西に進む。
千川通り こんにゃくえんま交差点 千川通り こんにゃくえんま交差点 

東京メトロ(旧営団)の南北線はこの交差点で右折、白山通りに向かう。交差点の左にはこんにゃくえんま(源覚寺)がある。
千川通り こんにゃくえんま(源覚寺) 千川通り こんにゃくえんま(源覚寺) 

こんにゃくえんまは、源覚寺に伝わる閻魔像で、閻魔堂に安置されている。右目が黄色く濁っているが、閻魔王が信心深い老婆に己の右眼を与え、老婆は感謝のしるしとして”こんにやく"を供えつづけたという言い伝えがある。このことから、眼病治療の『こんにやく閻魔』として庶民の信仰を集めた。
境内には地蔵尊のお身体に塩を盛ってお参りすることから塩地蔵もある。
こんにゃくえんま(源覚寺) こんにゃくえんま(源覚寺) 
こんにゃくえんま(源覚寺) こんにゃくえんま(源覚寺) 

墓地には満開の立派な桜が植えられている。
千川通り 旧柳町由来 千川通り 旧柳町由来 

このような銘板がいくつかビルの外壁に付けられている。錆びついていたり、この銘板のように見にくい所にあるものが多い。

もと、小石川村の内だった。
元和9年(1623)に伝通院領となり、延享2年(1745)に町地となった。
 明治2年、近接の土地を併せて柳町とした。町名の由来はよくわからない。おそらく、町内を流れる干川(小石川)のほとりに生えていた、柳の木によるのではなかろうか。
千川通り 柳町小学校入口交差点 千川通り 柳町小学校入口交差点 
千川通り 植物園前交差点で左折、播磨坂へ 千川通り 植物園前交差点で左折、播磨坂へ 
千川通り 植物園前交差点 小石川植物園案内 千川通り 植物園前交差点 小石川植物園案内 

 小石川植物園は、白山御殿とよばれていた五代将軍徳川綱吉の下屋敷があったところである。その後、小石川御薬園が設置され、八代将軍吉宗の時に御殿池すべてを薬園添地とした。
 享保7年(1722)、町医師、小川笙船の意見によって、幕府の医療施設が御薬園内に開設された。貧民救済を目的とし、入所者は病苦に悩む貧窮者に限られ、治療その他一切の費用は官費による負担であった。御薬園内で出来た薬を市民に施すこどから施薬院と呼ばれた。小川笙船の子孫が代々所長を勤め、山本周五郎の「赤ひげ診療譚」では、主人公、赤ひげこと新出去定がこの小川氏のもとで働く医長として描かれている。明治維新後は「貧病院」となるが、すぐ廃止され、まもなく東京府に所属し、植物園だけになった。当時の養生所井戸跡が残っている。
  明治10年(1877)より、東京大学理学部の付属植物園となり、面積約16万平方米に約3000種の樹木、約1000種の草木類が植えられている。
 白山御殿時代の遺構である日本庭園には、昭和44年本郷より解体移築された西洋式木造学校建築の旧東京医学校本館がある。同45年、国の重要文化財に指定された。
播磨坂のさくら並木 播磨坂のさくら並木 

交差点を左折してすぐにこのアーチが立てられている。

播磨坂は環状三号線(都道319号、外苑東通り、言問通りなどと呼称)の一部で、その前後が未開通である。仮に開通してもさくら並木を廃止しなければ十分な幅員は取れない。
播磨坂のさくら並木 播磨坂のさくら並木 

汚れて見にくいが、播磨坂さくら並木の案内図である。播磨坂は西の千川通りと東の春日通りとを結ぶ坂で、案内図は左が西である。
播磨坂のさくら並木 播磨坂のさくら並木 

 この通りは、戦災復興事業における付近一帯の土地区画整理によって、都市計画道路環状三号線の一部として造られました。
 江戸時代、この辺りは松平播磨守の上屋敷でした。また、千川(小石川)が流れる低地一帯には「播磨田んぼ」が広がっていたことから、新しくできたこの坂を「播磨坂」と呼ぶようになりました。
 立派なさくら並木(現在127本)は、昭和35年に「全区を花でうずめる運動」で植えられた若木(樹齢15年)が育ったものです。昭和47年からは、毎年4月初めに「文京さくらまつり」が行われ、多くの人々に親しまれています。
 平成7年(1995)3月には、全体が「水と緑と彫刻のある散歩道」として整備され、年間を通じて楽しめる新しい名所となりました
播磨坂の花海棠(はなかいどう) 播磨坂の花海棠(はなかいどう) 

入ってすぐに色鮮やかな花海棠が数本植えられている。
播磨坂の花海棠(はなかいどう) 播磨坂の花海棠(はなかいどう) 
播磨坂のさくら並木 播磨坂のさくら並木 

播磨坂の中間にある交差点までは左側に小さなせせらぎが設けられている。
播磨坂のさくら並木 播磨坂のさくら並木 

立て看板の指示通り、花見見物の席取りには予定時間と設置者の名前が付けられている。
播磨坂のさくら並木 播磨坂のさくら並木 
播磨坂のさくら並木 播磨坂のさくら並木 
播磨坂のさくら並木 播磨坂のさくら並木 



 
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