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言問通り 「弥生式土器」の発見地
「弥生式土器」の発見
明治十七年、東京大学の坪井正五郎、白井光太郎と有坂?蔵の三人は、根津の谷に面した貝塚から赤焼の壺を発見した。これが後に、縄文式土器と異なるものと認められ、町名をとり「弥生式土器」Lと命名された。
発見地はどこか
「弥生式土器」の発見地は、その後都市化が進むなかではっきりしなくなり謎とされてきた。推定地としては、次
の三か所が指摘されている。(左の図参照)
@ 東京大学農学部の東外側(サトウハチロー旧居跡付近)
A 農学部とエ学部の境(現在地付近)
B 根津小学校の校庭裏の崖上
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言問通り 「弥生式土器」の発見地 |
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言問通りを東進
手前が「弥生式土器」の発見地の案内板である。 |
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言問通り 弥生式土器発掘ゆかりの地
「弥生式土器」の発見地の案内板の先の交差点の右側にある。碑にはなんの説明もない。 |
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言問通り 根津一丁目交差点で右折、不忍通りへ |
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不忍通り 池之端二丁目交差点 |
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不忍通り 横山大観記念館 界隈案内図 |
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不忍通り 横山大観記念館 |
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不忍通り 不忍池 |
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不忍通り 池之端一丁目交差点 |
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不忍通り 天神下交差点で右折、春日通りへ |
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春日通り(切通坂) 湯島天神 夫婦坂 |
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春日通り(切通坂)を上る |
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春日通り(切通坂)を上る |
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春日通り(切通坂) 湯島天神入口交差点で左折 |
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春日通り(切通坂) 湯島天神入口交差点で左折 |
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湯島天神 唐門
湯島天神の西門に当たる。 |
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湯島天神 絵馬の山
新学期が始まり、合否の結果は出ているが、凄まじい絵馬の山である。なかには合格お礼の絵馬があった。 |
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湯島天神 本殿
社殿は平成7年(1995)総檜木造りとして造営された.平成5年(1993)お木曳き(造営の開始)の神事が行われ、遷座祭(完成)まで2年7か月を要した。
祭神は菅原道真である。伝承によれば文明4年(1355)湯島の郷民が霊夢によって老松の下に勧請したといわれている。太田道灌が社殿を再興し、江戸時代になって、徳川家康はじめ歴代の将軍があつく庇護し隆盛をきわめた。かって、湯島天満宮は”湯島天神”として知られ鳥居前には町もでき人々の往来で賑わった。 |
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湯島天神 表鳥居(銅鳥居)
銅製大鳥居(都指定文化財)
寛文7年(1667)9月創建され、同11年(1671)修理した銘がある。下脚部に唐獅子頭部の装飾は鳥居としては特異なものである。 |