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新宿御苑 大木戸門 新宿御苑 大木戸門 

左から旧甲州街道が曲がって新宿通りに向かう。
新宿御苑 大木戸門 内藤新宿開設三百年記念碑 新宿御苑 大木戸門 内藤新宿開設三百年記念碑 

大木戸門を出て右手の植え込みの中にある。

 元禄十一年(一六九八)六月、浅草阿部川町の名主・高松喜兵衛(後の喜六)らの願いにより、ここから新宿三丁目交差点付近までの約一qに、新たな宿場として「内藤新宿」が開設された。
 この宿場は、享保三年(一七一八)に一旦廃止されたが、五十四年後に再興されて以降、甲州・青梅両街道が交差する、交通の要衝として、また文化と娯楽の町として繁栄をつづけ、平成十年(一九九八)、開設三百年を迎えることとなった。
 新都心・新宿の出発点となった内藤新宿の歴史と先人の歩みを記念し、ここに記念碑を建立する。
新宿御苑 大木戸門 新宿一丁目交差点で右折、新宿通りへ 新宿御苑 大木戸門 新宿一丁目交差点で右折、新宿通りへ 
新宿通り 玉川上水水番所跡の碑 新宿通り 玉川上水水番所跡の碑 

玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ四六〇センチ、幅二三〇センチ。上部の篆字は徳川家達、撰文は胆付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に七八〇字、裏面に一三〇字が陰刻されている。
 碑の表面には明治十八年の年記が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により明治二十八年(一八九五)完成したものである(裏面銘文)。
新宿通り 玉川上水水番所跡、水道碑記、四谷大木戸跡 新宿通り 玉川上水水番所跡、水道碑記、四谷大木戸跡 

四谷四丁目交差点の手前にあり、四谷上水番所跡、水道碑記、四谷大木戸跡碑の3件の説明がされている。

玉川上水水番所跡
 玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市中へは石槌・木槌といった水道管を地下に埋設して通水した。
 水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には次のような高札が立っていた。
       定
一、此上水道において魚を取水をあび
  ちり芥捨べからず何にても物あらひ申間敷
  並寮側三間通に在来候一木下草
  其外草刈取申間敷候事
右之通相背輩あらば可為曲事者也
    元文四巳未年十二月  奉行
新宿通り 四谷大木戸跡の碑 新宿通り 四谷大木戸跡の碑 

都指定の旧跡・四ツ谷大木戸の記念碑。昭和34年の地下鉄丸の内線工事の際に出土した玉川上水の石樋を使っている。記念碑から約80m東の四ツ谷4丁目交差点が本来の場所。
第一京浜の泉岳寺の近くにある高輪大木戸跡は石垣の遺構があるが、四谷は碑だけである。
新宿通り 四谷四丁目交差点で右折、外苑西通りへ 新宿通り 四谷四丁目交差点で右折、外苑西通りへ 

この交差点は、右から新宿御苑の地下を走って来た甲州街道(国道20号)が地上に出た所で、以後合流して新宿通りとなる。
新宿通り 四谷四丁目交差点で右折、外苑西通りへ 新宿通り 四谷四丁目交差点で右折、外苑西通りへ 
外苑西通り 内藤町交差点 外苑西通り 内藤町交差点 
外苑西通り 野口英世記念会館 外苑西通り 野口英世記念会館 

大京町交番前交差点手前にある。
外苑西通り 大京町交番前交差点 外苑西通り 大京町交番前交差点 
外苑西通り 大京町交差点 外苑西通り 大京町交差点 

右手に見える新宿御苑の正門(閉鎖中)は、総武線ガード手前すぐの所にある。門の裏にはフランス式整形庭園がある。新宿御苑は新宿駅近くの新宿2丁目にある新宿門や、四谷4丁目の大木戸門から入ることが出来る。
外苑西通り 新宿御苑 正門(閉鎖中) 外苑西通り 新宿御苑 正門(閉鎖中) 



 
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