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 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 

 永禄4年(1561)柳下若狭守の家臣が目白の地から掘り出し、東陽坊という寺に納めたという鬼子母神像。安土桃山時代にはこの地に堂宇が建てられ、今なお安産・子育の神様として広く信仰を集めている。境内には「子授け銀杏」といわれる樹齢約700年の大イチョウ、石像の鬼子母神像などが点在する。

表参道に入ってすぐに二体の石造の仁王像があり、左が吽形、右が阿形である。
雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 天然記念物 子授けイチョウ 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 天然記念物 子授けイチョウ 

吽形の仁王像の左に子授けイチョウがある。
雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 天然記念物 子授けイチョウ 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 天然記念物 子授けイチョウ 

樹高三〇メートル、幹周八メートルの雄株で、都内のイチョウでは、麻布善福寺のイチョウに次ぐ巨樹であり、樹勢は盛んである。応永年間(一三九四〜一四二八)に僧日宥が植えたと伝えられている。古来『子授け銀杏』と言われ、戸張苗堅の『櫨楓』によるど、婦人がこのイチョウを抱く光景がみられ、注連縄を張るようになったのは、文政年間(一八一八〜二九)の頃という。
雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 天然記念物 子授けイチョウ 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 天然記念物 子授けイチョウ 

雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ

 イチョウ(銀杏・公孫樹)は、一属一種のイチョウ科に属する、裸子植物の落葉高木である。耐寒耐暑性があり、社寺の境内樹・庭園樹・公園樹・街路樹などに広く植栽されている。中国原産といわれ日本へは、遣唐使の帰国によってもたらされたという説もある。雌雄異株で、四月に開花し一〇月に種子(銀杏)は成熟し、黄葉する。
 樹高三〇メートル、幹周八メートルの雄株で、都内のイチョウでは、麻布善福寺のイチョウに次ぐ巨樹であり、樹勢は盛んである。応永年間(一三九四〜一四二八)に僧日宥が植えたと伝えられている。古来『子授け銀杏』と言われ、戸張苗堅の『櫨楓』によると、婦人がこのイチョウを抱く光景がみられ、注連縄を張るようになったのは、文政年間(一八一八〜二九)の頃という。
 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 戦捷記念碑 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 戦捷記念碑 

日露戦争の記念碑である。

揮毫は従三位子爵岡部長職である。普通このような記念碑は軍司令官などの揮毫が多いが、岡部長職は旧岸和田藩主の文官である。
雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 土産物店 上川口屋 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 土産物店 上川口屋 

創業一七八一年(天明元年)の額を掲げる名物土産物店である。
雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 

大黒堂は幟の右の坂を下った所にある。
雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂 雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂 

 『新編武蔵風土記稿』によると建立は天正六年(一五七八)五月三日であるが、そののち寛文四年(一六六四)松平安芸守光晟の室、法名自昌院英心日妙大姉が寄進して、今の本殿を造営した。
 拝殿と幣殿(相の間)は元禄一三年(一七〇〇)に建立されたことが、昭和五一年におこなわれた昭和大修理において発見された墨書や銘文で確認されている。
 本殿は桁行六・〇四メートル、梁間5・77メートル、一重、流造、桧皮葺形銅板葺。相の間は桁行六・〇六メートル、梁間六・〇4メートル、一重、両下造、とち葺形銅板葺。拝殿は桁行一七・八六メートル、梁間一一・八一六メートル、一重、入母屋造。厨子は一間厨子、入母屋造、軒唐破風附本瓦形板葺。
雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂 雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂 
雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂 雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂 
雑司ヶ谷 鬼子母神 力石 雑司ヶ谷 鬼子母神 力石 

何の説明もなく、さり気なく並べられている。例えば写真中央の「力石」の右の石は53貫目と彫られている。53貫目はほぼ200sであるが、それほどあるようには見えない。
雑司ヶ谷 鬼子母神 雑司が谷七福神 大黒堂 雑司ヶ谷 鬼子母神 雑司が谷七福神 大黒堂 
雑司ヶ谷 鬼子母神 北入口から西へ 雑司ヶ谷 鬼子母神 北入口から西へ 

法明寺鬼子母神堂の右手、北側には色々な像や碑が並んでいる。
雑司ヶ谷 鬼子母神 妙見堂 雑司ヶ谷 鬼子母神 妙見堂 

西参道の正面で、鬼子母神堂に接して反対側に設けられている。西から見ると鬼子母神堂は全く見えない。
雑司ヶ谷 鬼子母神 西参道 雑司ヶ谷 鬼子母神 西参道 

西参道を進むと明治通りに出る。
雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 雑司が谷 みみずく公園 界隈案内図 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 雑司が谷 みみずく公園 界隈案内図 
雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 雑司が谷みみずく公園 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 雑司が谷みみずく公園 
雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 雑司が谷みみずく公園 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 雑司が谷みみずく公園 

鬼子母神とすすきみみずく

 鬼子母神は、子授け、安産、子育ての神として、江戸時代から人々の信仰を集めている。
 参詣土産の“すすきみみずく”も、東京の郷土玩具として古くから親しまれて来た。その純朴で愛らしい姿には、こんな伝統が宿っている。

むかし、鬼子母神の近くに二人暮らしの母娘が住んでいた。ある時母親が病に倒れ、途方に暮れた娘は鬼子母神に願をかけた。すると、「この辺りは芒の多いところゆえ、これを切り取りその穂をもって“すすきみみずく”を作り、神の庭にて売るがよい」という夢枕のお告げがあったという。孝行娘の一念が通じいつしか母親の病は治り、以来娘は蝶々になって鬼子母神に仕えているという。

(豊島の民話“すすきみみずく”より)
 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 丁字路で右折 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 丁字路で右折 

直進すると大鳥神社に向かう。
雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 
雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 
雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 

鬼子母神堂は、江戸時代から子授け、安産の御利益があるとされ、多くの参詣者を集めてきました。江戸後期には、将軍の御成もあったほど大いに繁盛しました。参道には名物の大きなケヤキ並木とたくさんの茶店、料亭などが並び、参詣土産には、現在も造られている「すすきみみずく」などが売られていました。かつては大径のケヤキが多く、荘厳な風景をかもし出していましたが、現在は徐々に若いケヤキに植え替えられ、巨木は四本のみです。毎年一〇月に行われるお会式(おえしき)には万灯行列が周辺を練り歩き、往時のにぎわいを伝えています。

同じ場所にあった案内板が書き換えられ、内容も一変している。
雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 



 
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