日比谷〜霞ヶ関〜神谷町
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東京の名園 日比谷公園 | ||
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晴海通り ザ ペニンシュラ ホテル 日比谷交差点手前に最近出来たホテルで、晴海通りの反対側には東宝ツインタワービルがあり、その奥には日比谷シャンテ、東京宝塚劇場、帝国ホテルがある。 |
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晴海通り 日比谷演劇街 手前右から東宝ツインタワービル、日比谷三井ビル、尖塔がある東京宝塚ホテルがあり、突き当りが写真では見えないが御幸通り沿いの帝国ホテルである。左の中央にカーブがあるのが日比谷シャンテ、写真では見えないがその後ろにかっての芸術座(現 日比谷シアタークリエ)がある。 |
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晴海通り 日比谷交差点 | |
晴海通り 日比谷公園 有楽町門 日比谷公園は、今年(平成19年)から大噴水、第2花壇でTOKYO FANTASIA 2007が始められた。 |
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桜田通り 日比谷公園 日比谷交差点で晴海通りは桜田通り(国道1号線)となる。 |
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桜田通り 祝田橋交差点を渡る | |
桜田門 赤レンガの旧法務省本館、警視庁 | |
桜田門交差点で左折、桜田通りへ 写真の右手に桜田門がある。 |
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桜田門交差点 千代田区防災案内板 一見よくある周辺の案内板のようであるが、防災案内板である。 |
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東京メトロ(旧営団) 有楽町線 桜田門駅 桜田門交差点を曲がった所にあり、右は警視庁、左は赤レンガの旧法務省本館である。 |
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桜田通り 赤レンガの旧法務省本館 この建物は、明治政府が招聘したドイツ人建築家ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンの設計により、実施設計・工事には河合浩蔵が参画し、1895年(明治28年)に旧司法省として完成した。 その後、1923年(大正12年)の関東大震災では、レンガ壁が鉄材で補強されていたため、ほとんど被害を受けなかったが、1945年(昭和20年)の東京大空襲により、レンガ壁を残して焼失した。そのため、屋根を天然スレートから瓦にするなどの改修工事が行われ、1950年(昭和25年)法務省本館として再び利用されるようになった。 |
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桜田通り 赤レンガの旧法務省本館 | |
桜田通り 赤レンガの旧法務省本館 | |
東京メトロ(旧営団) 日比谷線 霞ヶ関駅 | |
桜田通り 霞が関中央官庁案内 「霞が関」と、「霞ヶ関」の二種類お表記がある。虎ノ門交差点にある案内に書かれているが、昭和42年に霞ヶ関から霞が関に改称された。 |
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桜田通り 霞が関2丁目交差点で国会通りを渡る 右側に財務省がある。 |
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桜田通り 虎ノ門交差点で外堀通りを渡る | |
桜田通り 虎ノ門交差点 虎の小像 江戸城を守る外郭門のひとつであった虎御門は、江戸時代初期までは遠浅の海(日比谷入江)に面していた。 |
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桜田通り 虎ノ門交差点 虎の小像 | |
桜田通り 虎ノ門交差点で外堀通りを渡る | |
桜田通り 虎ノ門金毘羅宮 | |
桜田通り 虎ノ門金毘羅宮 | |
桜田通り 虎ノ門金毘羅宮 讃岐丸亀藩主の京極高和が領地、讃岐の金刀比羅大神を、万政治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後延宝7年(1679)に現在の地虎ノ門に移る。 こんびら人気が高まった文化年間に京極家では毎月10日に限り一般の参詣を許し、大変賑わったといわれる。 社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、祭殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。 |
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桜田通り 虎ノ門金毘羅宮 | |
桜田通り 虎ノ門金毘羅宮 銅鳥居 | |
桜田通り 虎ノ門金毘羅宮 銅鳥居 | |
桜田通り 虎ノ門金毘羅宮 銅鳥居 江戸では諸藩邸内の神仏を一般に公開し、賽銭収入も期待されていたようです。 江戸庶民の信仰を反映したこの派手な鳥居は、当時の人々の宗教的・文化的活動の実態を示す貴重なものです。 |
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桜田通り | |
桜田通り 愛宕山 愛宕山には日本で最初の放送がなされたNHK放送博物館がある。コーン型の愛宕フォレストタワーの下の白い建物が分り難いが博物館である。 博物館に隣接して出世の階段とも誉の階段とも言われる急坂がある愛宕神社がある。 |
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東京メトロ(旧営団) 日比谷線 神谷町駅 |