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東京、横浜の桜並木探訪 4部作H2304(江戸川公園〜神田川 江戸川橋〜江戸川橋駅)


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不忍通り 護国寺交差点で右折、音羽通り(都道435号 音羽池袋線)へ 不忍通り 護国寺交差点で右折、音羽通り(都道435号 音羽池袋線)へ 
音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 旧音羽町 町名由来 音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 旧音羽町 町名由来 

もと、小石川村、雑司ヶ谷村、小日向村、関口村などの地であった。五代将軍綱吉が、生母桂昌院の願により護国寺を建立した。元禄10年(1697)護国寺領となり、町屋にしたが家作人が無く、後幕府が再建して奥女中の音羽という者に家作を与えた。音羽の名をとり町名にしたという。
また「新編江戸志」には、護国寺建立は京都の清水寺を模したので、門前を音羽町と名づけたとある。
 音羽通り(都道435号 音羽池袋線) B−ぐるバス(目白台・小日向ルート) #17 講談社前 音羽通り(都道435号 音羽池袋線) B−ぐるバス(目白台・小日向ルート) #17 講談社前 

文京区のコミュニティバスであるB−ぐるバスは、平成19年4月から運行の千駄木・駒込ルートに続き、平成23年12月から目白台・小日向ルートが運行を開始した。
音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 講談社本社 音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 講談社本社 

講談社は平成21年に創業100周年を迎えた出版社で、椿山荘隣の野間記念館には、創業者の野間清治のコレクションがある。
音羽通り(都道435号 音羽池袋線)を南下 音羽通り(都道435号 音羽池袋線)を南下 
音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 文京福祉センター前交差点 音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 文京福祉センター前交差点 
音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 鳩山会館(音羽御殿) 音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 鳩山会館(音羽御殿) 

政権交代直後には観光バスが何台も停まり、団体さんが見物に訪れていた。しかし、すぐにマザコンが暴露され鳩ポッポ宰相と揶揄されて客足は絶えた。
最近では母体の民主党でさえ持て余す媚中派、反米派としてその国賊ぶりに本人だけが気づかない漫画的人物として有名である。
音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 鳩山会館(音羽御殿) 音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 鳩山会館(音羽御殿) 

文京区の音羽の丘の上に鳩山邸の美しい洋館が姿を現したのは、関東大震災の翌大正13年である。
 鳩山家は、衆議院議長の和夫(1856〜1911)、総理大臣となった一郎(1883〜1959)、外務大臣を務めた威一郎(1918〜1993)、さらに衆議院議員の由紀夫(1947生)、邦夫(1948生)、と四代にわたり指導的な政治家を生み育てた。
この洋館を建てたのは一郎で、ここを舞台に、戦後政治の画期となった自由党(現・自由民主党)の創設が計られ、また首相として決断した日ソ国交回復の下準備も行われている。
設計を手がけたのは、一郎の友人の岡田信一郎(1888〜1932)で、大正・昭和初期を代表する建築家として知られる。
 一郎の没後、傷みがひどくなったけれど、このたび大修復を加え、往年の輝きを回復した。修復に当たり、一郎、その夫人で教育者の薫、威一郎を記念する部屋を設け、公開されることになった。バラの庭を前に立つイギリス風の外観、ハトをモチーフとするステンドグラス、アダムスタイルの応接室、朝倉文夫作の和夫、春子夫妻像などなど見るべきものは多い。
音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 目白台下交差点で目白通りに合流 音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 目白台下交差点で目白通りに合流 

都道435号音羽池袋線はこの交差点が終点である。
音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 目白台下交差点で目白通りに合流 音羽通り(都道435号 音羽池袋線) 目白台下交差点で目白通りに合流 
目白通り 神田川に架かる江戸川橋、江戸川公園 目白通り 神田川に架かる江戸川橋、江戸川公園 

早稲田界隈が有名だが、神田川沿いの桜並木は名所である。
xd1212 目白通り 神田川に架かる江戸川橋、江戸川公園 
東京メトロ 有楽町線 江戸川橋駅 東京メトロ 有楽町線 江戸川橋駅 
目白通り 江戸川橋交差点で左折 目白通り 江戸川橋交差点で左折 

右折すると新目白通りとなって早稲田へ向かい、直進すると江戸川橋通りで牛込天神町交差点で早稲田通りに合流する。
目白通り 古川歩道橋 目白通り 古川歩道橋 
目白通り 西江戸川橋交差点 国産飛行機発祥の地 目白通り 西江戸川橋交差点 国産飛行機発祥の地 

交差点角のビルの横にあり、飯田橋方向から来ると見つけやすいが、江戸川橋からだと目白通りからは見えない。

明治四十二〜四十三年(一九〇九〜一九一〇)にかけて日野熊蔵大尉により最初の国産飛行機「日野式一号機」が製作された林田商会(のち日本醸造機械株式会社)跡地である。
明治時代末期、飛行機が欧米各国で長足の進歩を遂げているのを見て日野大尉はその将来性に着目し、全くの独力で英・米・独・仏の文献を参考に飛行機用発動機、および飛行機の設計と製作に着手し、明治四十三年二月この地で完成した。
一層式で翼長八メートル、全長三メートル、発動機は二衝程空冷式八馬力を搭載し、完成まで三ヶ月の期間と約千九百円を費やした。大尉はこの飛行機に自ら搭乗して戸山ヶ原で試験飛行を実施した。
目白通り 西江戸川橋交差点 目白通り 西江戸川橋交差点 
目白通り 飯田橋 トッパンホール 目白通り 飯田橋 トッパンホール 

高架は首都高5号池袋線で、車で走ると飯田橋インターを過ぎると特徴のあるホールが見える。
目白通り 大曲 朝倉書店 目白通り 大曲 朝倉書店 
目白通り 大曲界隈案内図 目白通り 大曲界隈案内図 

案内図でも分かるように大きなカーブである。昭和43年に廃止された都電江戸川線の大曲停留所があった。
目白通り 白鳥橋交差点(大曲) 目白通り 白鳥橋交差点(大曲) 
目白通り 首都高5号池袋線の高架沿いに南下 目白通り 首都高5号池袋線の高架沿いに南下 
目白通り 飯田橋交差点で右折、外堀通りへ 目白通り 飯田橋交差点で右折、外堀通りへ 

飯田橋交差点は5差路で、地下鉄4路線がこの交差点を通る。

東京メトロ 東西線 目白通り〜大久保通り
       有楽町線 目白通り〜外堀通り
       南北線 外堀通り〜外堀通り
都営 大江戸線 大久保通り〜外堀通り
外堀通り 旧飯田濠 思い出のせせらぎ 外堀通り 旧飯田濠 思い出のせせらぎ 
外堀通り 牛込揚場の碑 外堀通り 牛込揚場の碑 

江戸時代には海からここまで船が上ってきた。全国各地から運ばれてきた米、味噌、醤油、酒、材木などがこの岸で荷揚げされたので、この辺は揚場と呼ばれた。
 昭和四十七年に都の市街地再開発事業として、ビル建設が決定され飯田濠は埋め立てれることになったが、濠を保存してほしいという都民の強い要望から、ビルの西側に飯田濠の一部を復元すると共に、以前水面があったことにちなんで約二百三十メートルのせせらぎを造った。
 外濠の水は、このせせらぎの地下水路を通って昔のとおり神田川に注いでいる。
外堀通り 牛込揚場の碑 外堀通り 牛込揚場の碑 
外堀通り 旧飯田濠 思い出のせせらぎ 外堀通り 旧飯田濠 思い出のせせらぎ 
東京メトロ 有楽町線 飯田橋駅 東京メトロ 有楽町線 飯田橋駅 



 
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