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外堀通り 赤坂見附交差点で左折、青山通りへ  |
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青山通り 一ツ木通り 
青山通り側は昔の一ツ木通りの雰囲気が残っている。 |
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青山通り 豊川稲荷前歩道橋 
歩道橋の先に都バスのバス停が見え、その後ろにちぃばすのバス停が見える。青山通りの斜め向かいには豊川稲荷がある。 |
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ちぃばす(赤坂ルート) バス停 #43 豊川稲荷前  |
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青山通り 豊川稲荷 
豊川稲荷は稲穂を荷い白狐に跨り給うお姿の豊川荼枳尼真天にましまし。今から凡そ七百余年の昔、順徳天皇第三皇子寒厳義尹禅師によってはじめ感見され、それより代々伝えられて嘉吉元年(西暦一四四一年)十一月二十二日豊川の霊場豊川閣妙厳寺に奉祀されました。爾来福徳の善神として広く御信者の皆様に信仰せられて今日におよんでおります。
当山は愛知県豊川閣の東京別院で江戸時代の名奉行大岡越前守忠相公が生涯の守護神として日夜信仰せられた由緒ある豊川荼枳尼真天の御尊像をおまつりする霊場であります。 |
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青山通り 赤坂警察署前交差点 
交差点を渡った所に新たに建設された赤坂警察署があり、ちぃばす(青山ルート)はその横から青山通りを渡り向いの豊川稲荷に向う。 |
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ちぃばす(赤坂ルート) バス停 #44 赤坂地区総合支所前  |
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青山通り 赤坂地区総合支所前交差点  |
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ちぃばす(赤坂ルート) バス停 #45 高橋是清翁記念公園前 
左に高橋是清翁記念公園がある。 |
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高橋是清翁記念公園 
この公園は、日本の金融界における重鎮で大正から昭和初めにかけて首相、蔵相などをつとめた政治家「高橋是清」翁(1854年~1936年)の邸宅があったところです。
翁は、昭和11年(1936年)2・26事件によりこの地において83歳で世を去りました。翁の没後、昭和13年(1938年)10月高橋是清翁記念事業会が・この地を当時の東京市に寄附し、昭和16年(1941年)6月東京市が公園として開園しました。その後、昭和50年(1975年)港区に移管されたものです、第二次世界大戦の空襲により翁にゆかりのある建物は焼失してしまいましたが、母家は故人の眠る多摩霊園へ移築されていたため難を免れ、現在は都立小金井公園にある江戸東京たてもの園へ移されています。
戦時中撤去されていた翁の銅像も昭和30年(1955年)に再建されました。
現在の面積は5,320㎡で、国道246号線の拡幅等により開園当初よりやや減っていますが、和風庭園はほぽ当時のままの姿で残されています。
園内は池を中心として石像や石灯籠が配置され、樹木はかえで、もっこく、うらじろがし、くすのきなどたくさんの種類があり落ち着いた雰囲気をかもしだしています。 |
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高橋是清翁記念公園  |
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高橋是清翁記念公園  |
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高橋是清翁記念公園 
公園の左奥には高橋是清翁像がある。 |
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高橋是清翁記念公園 熱中症計は注意 
現在時刻は12:25で、温度25.0℃、湿度は60%、熱中症計は注意である。
40分前の乃木神社では、温度31.5℃、湿度は27%、熱中症計は警戒であった。天気が悪くなってきたことと、木立の中ということもあり、温度は大分下がったが、湿度は一気に上がってきた。
この後2時間後に雨が降ってきており、湿度の上昇は正しかった。 |
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ちぃばす(赤坂ルート) バス停 #46 赤坂郵便局前  |
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ちぃばす(赤坂ルート) バス停 #46 赤坂郵便局前  |
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青山通り 青山ツインタワー  |
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青山通り 青山一丁目交差点で左折、外苑東通りへ  |
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ちぃばす(赤坂ルート) バス停 #47 青山一丁目駅前 
交差点を曲がってすぐにある。 |
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外苑東通り 青山一丁目陸橋交差点で左折 
直進すると環状三号線となり、青山墓地を経て六本木ヒルズに向う。 |
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外苑東通り 青山一丁目陸橋交差点 赤坂消防署発祥之地 
赤坂消防署は、この地に大正十五年に誕生し、以来昭和三十年までの間地域と一体となって、協力と和のもとに防災の拠点としてその任務を果たした。 |
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外苑東通り 青山一丁目陸橋交差点 赤坂消防署発祥之地 
交差点手前にある。 |
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ちぃばす(赤坂ルート) バス停 #48 南青山一丁目 
外苑東通りは左折してすぐ先の突き当たりで右折する。
青山一丁目陸橋交差点を挟んで、#47青山一丁目駅前バス停と#48南青山一丁目バス停は近接している。 |
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ちぃばす(赤坂ルート) バス停 #48 南青山一丁目  |