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柳通り 奥の細道
江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644〜1694)が門人曾良とともに江戸を出発し、北関東・東北・北陸から大垣に至る2,400km、約150日の旅行記。
旅の途中の情景と心情とを、力強く簡潔な表現で描いた、紀行文学の代表。
柳通りの上下に山寺などの各地ごとの句が書かれているが、句碑があるわけではない。なぜ奥の細道なのかの理由も説明されていないが、柳通りの少し先に象潟の句碑がある。 |
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柳通り 「松尾芭蕉象潟の句碑」建立由来
江戸時代に現秋田県本荘藩主であった六郷公が、この浅草に下屋敷を構えたとき、その下屋敷付近の町に、六郷公地元の景勝地「象潟九十九島」にちなみ、「象潟町」と名付けました。
このことにより、平成五年七月二十二日に秋田県象潟町と台東区馬道地区町会連合会との間で「姉妹地」の盟約が締結されました。そして、今年が締結十年目に当たり、江戸開府四百年目でもあります。
江戸文化の偉大なる俳聖「松尾芭蕉」が旅した「おくのほそ道」で秋田県象潟を訪れ、雨に煙る九十九島、八十八潟の絶景を中国の美女「西施」の憂いに満ちた姿と重ね合わせた素晴らしい句を残しております。
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」
当浅草象潟地域と秋田県象潟町との強い「姉妹地」の関係は永久のものであり、末長い交流により相互の発展に寄与するとともに、江戸文化の復興とその継承を図るため、この句を石碑として浅草の地に建立したものです。 |
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柳通り 浅草寺病院前交差点で言問通りを渡る
左手に浅草寺病院があり、言問通りを渡ると奥に浅草寺裏の駐車場がある。 |
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柳通り 浅草寺病院前交差点で言問通りを渡る |
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言問通り 浅草寺病院前交差点 雷5656会館 |
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言問通り 浅草寺病院前交差点 雷5656会館
雷5656会館は、雷門左手にある常盤堂雷おこし本舗の店である。 |
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浅草寺裏 はとバス専用駐車場
正面は影向堂で、左の本堂は平成大営繕の覆いで囲われている。 |
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浅草寺裏 本堂裏広場
翌日の浅草サンバカーニバル用の山車の準備が進められている。 |
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浅草寺裏 銭塚地蔵堂
昭和三十九年に再建されたこのお堂には、石造の「六地蔵尊」が安置されており、その下に「寛永通宝」が埋められているといわれることから「銭塚」の名がある。
江戸時代、摂州有馬郡に山口なる者かおり、その妻がある日、庭先で寛永通宝が沢山入った壷を掘り当てた。だがこれに頼って働かずにいては、家は滅びてしまうと考え、誰にもいわず再び土中に埋め戻した。
「この心掛けによって一家は繁栄したので、その壷の上に地蔵尊を祀ったという。
お堂のご本尊は、そのご分身を勧請したもので、商売繁昌のご利益があるといわれる。
毎月「四の日」と正・五・九の各月二十四日に法要が営まれ、参拝者は塩と線香とローソクをお供えする。特に塩をお供えするので「塩なめ地蔵」の名もある。 |
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浅草寺裏 銭塚地蔵堂 |
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浅草寺裏 花やしき通り |
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花やしき通り |
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花やしき通り
車両の通行を禁止する杭が立てられているが、ニンニンパンダバスが来ると、付近の商店から引き抜いて通行できるようにする。 |
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花やしき通り
街並みが江戸時代の風景にされており、浅草のイメージに合わされている。 |
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花やしき通り 花やしき 浅草門 |
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花やしき通り 鬼太郎堂 |
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花やしき通り バス停前風景
北同様、車両通行止めのフェンスがあるが、右の案内所から係員が出てきてどける。 |
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ニンニンパンダバス 終点 花やしき前 |