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言問通り 雷5656会館前で右折、柳通りへ
雷5656会館は、雷門左手にある常盤堂雷おこし本舗の店である。 |
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柳通りを北上
若木の柳が痛々しい並木道である。道路脇に松尾芭蕉の奥の細道に因んだ説明板が並ぶ。 |
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柳通り 浅草三業会館(浅草見番)
浅草見番前バス停の前にあり、浅草見番と言う看板が見える。
「三業」とは、ホームページによると
芸妓衆の屋形である置屋
遊びの場を提供する料亭
料理を供する割烹料亭
の三業種を言うそうである。 |
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ニンニンパンダバス #6 浅草見番 |
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柳通りを戻り、浅草寺病院前交差点で言問通りを渡る
交差点右角に雷5656会館がある。 |
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浅草寺裏 はとバス専用駐車場
正面は影向堂で、左の本堂は平成大営繕を終えている。 |
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浅草寺裏 銭塚地蔵堂 |
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浅草寺裏 銭塚地蔵堂
昭和三十九年に再建されたこのお堂には、石造の「六地蔵尊」が安置されており、その下に「寛永通宝」が埋められているといわれることから「銭塚」の名がある。
江戸時代、摂州有馬郡に山口なる者かおり、その妻がある日、庭先で寛永通宝が沢山入った壷を掘り当てた。だがこれに頼って働かずにいては、家は滅びてしまうと考え、誰にもいわず再び土中に埋め戻した。
「この心掛けによって一家は繁栄したので、その壷の上に地蔵尊を祀ったという。
お堂のご本尊は、そのご分身を勧請したもので、商売繁昌のご利益があるといわれる。
毎月「四の日」と正・五・九の各月二十四日に法要が営まれ、参拝者は塩と線香とローソクをお供えする。特に塩をお供えするので「塩なめ地蔵」の名もある。 |
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浅草寺裏 花やしき通り
車両の通行を禁止する杭が立てられているが、ニンニンパンダバスが来ると、付近の商店から人が出て、引き抜いて通行できるようにする。 |
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花やしき通り
街並みが江戸時代の風景にされており、浅草のイメージに合わされている。 |
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花やしき通り 花やしき 浅草門 |
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花やしき通り |
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ニンニンパンダバス #7 花やしき |
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ニンニンパンダバス #7 花やしき
以前は一度乗ったらそのままだったが、今はスカイツリーで全員降ろされるため、今戸神社に行くためには二天門本店で乗り換えなければならない。 |
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花やしき通り 花やしき |
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花やしき通り |
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花やしき通り入口 浅草六区 ブロードウェイ
右手はウインズ浅草である。 |
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花やしき通り 浅草凌雲閣記念碑
六区ブロードウェイの端にあるパチンコ店 サンシャインアサクサ前にある。注意してみないと見落とす。 |
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花やしき通り 浅草凌雲閣記念碑
1890年(明治23年)11月27日。この地、台東区浅草二丁目壱捨四番5号辺りに浅草凌雲閣(通称:12階)が完成。設計は東京の上水道設計者でもある英国人ウイリアム・K・バルトンが担当。当時としては超高層の八角形12階の建物で、1階から10階までが煉瓦積、11・12階が木造で、屋根には風見の付いた避雷針がのり、8階までは日本で最初の電動エレバーターを設置、各階には凡そ50の店が軒をつらねた。最上階の12階には30倍の望遠鏡が設置され、隅田の流れからお台場を映し品川沖の海、遠くは筑波、秩父の山が眺めたと言われる。観覧料は大人8銭(現在の約700円)子供4銭であったが高所から東京を一望しようという人が押し寄せ、東京随一の観光場所となった。創業から33年の1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で破壊され、その幕を閉じた。
明治・大正の33年間、多くの人達にときめきと感動をあたえ、一世を風靡し浅草の振興に貢献した浅草凌雲閣、その跡地に記念碑を設立し後世に記録として残します。 |
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花やしき通り 浅草ビューホテル前で左折、国際通りへ |