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馬道通りを南下 |
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馬道通り 浅草一丁目交差点で右折、一葉桜・小松橋通りへ |
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一葉桜・小松橋通り 浅草一丁目交差点 周辺案内図
赤印の現在地のすぐ右の縦線は馬道通りで、現在地の左の破線表示の縦線は観音裏富士通りで、浅草警察署前交差点で右折、北めぐりんが南下するすることを示している。その左の縦線がこれから歩く柳通りである。 |
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一葉桜・小松橋通り 浅草警察署前交差点を過ぎる
左が浅草警察署で、北めぐりんは西の千束から来て、この交差点で右折(写真では左折)して浅草観音堂裏交差点に向かう。 |
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ニンニンパンダバス #4 奥浅草観光案内所
今回新設されたバス停で、浅草警察署の先、柳通りの手前にある。このため、ニンニンパンダバスの経路変更がなされた。 |
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一葉桜・小松橋通り 奥浅草観光案内所
バス停を見つけて、ふと左を見たらあったが、見落としやすいし、この一帯に観光する場所もない。 |
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奥浅草観光案内所先の角で左折、柳通りへ
信号はなく、目標は浅草家察署であるが、名前の由来となった柳並木がある。 |
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柳通りを南下
店の看板に柳通りと書いてあるので、貧弱な若木の柳が延々と続いている理由が分かった。
柳通りと言うと、北めぐりんが巡る根岸の金杉通りと交差する道があり、こちらは立派な柳並木である。 |
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柳通りを南下 |
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柳通り 界隈案内図
現在地は柳通りのほぼ中央で、この先に浅草見番がある。 |
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ニンニンパンダバス #5 浅草見番前 |
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柳通り 浜口京子選手 銅メダル獲得 記念樹 オリーブ |
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柳通り 浜口京子選手 銅メダル獲得 記念樹 オリーブ
浜口京子は地元出身で、北京オリンピックでの銅メダル獲得記念である。浅草見番バス停横にあり、この先にも植えられている。 |
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柳通り 浅草三業会館(浅草見番) |
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柳通り 浅草三業会館(浅草見番)
浅草見番前バス停の前にあり、浅草見番と言う表示はない。
「三業」とは、ホームページによると
芸妓衆の屋形である置屋
遊びの場を提供する料亭
料理を供する割烹料亭
の三業種を言うそうである。 |
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柳通り 奥の細道
江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644〜1694)が門人曾良とともに江戸を出発し、北関東・東北・北陸から大垣に至る2,400km、約150日の旅行記。
旅の途中の情景と心情とを、力強く簡潔な表現で描いた、紀行文学の代表。
柳通りの上下に山寺などの各地ごとの句が書かれているが、句碑があるわけではない。なぜ奥の細道なのかの理由も説明されていないが、柳通りの少し先に象潟の句碑がある。 |
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柳通り 浅草三業会館(浅草見番)
浅草見番前バス停の先にあり、浅草見番と言う看板が見える。
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柳通り 奥の細道
千住から始まり、東北地方の地図が描かれている。 |
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柳通り 「松尾芭蕉象潟の句碑」建立由来
江戸時代に現秋田県本荘藩主であった六郷公が、この浅草に下屋敷を構えたとき、その下屋敷付近の町に、六郷公地元の景勝地「象潟九十九島」にちなみ、「象潟町」と名付けました。
このことにより、平成五年七月二十二日に秋田県象潟町と台東区馬道地区町会連合会との間で「姉妹地」の盟約が締結されました。そして、今年が締結十年目に当たり、江戸開府四百年目でもあります。
江戸文化の偉大なる俳聖「松尾芭蕉」が旅した「おくのほそ道」で秋田県象潟を訪れ、雨に煙る九十九島、八十八潟の絶景を中国の美女「西施」の憂いに満ちた姿と重ね合わせた素晴らしい句を残しております。
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」
当浅草象潟地域と秋田県象潟町との強い「姉妹地」の関係は永久のものであり、末長い交流により相互の発展に寄与するとともに、江戸文化の復興とその継承を図るため、この句を石碑として浅草の地に建立したものです。 |
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柳通り 雷5656会館 |
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柳通り 浅草寺病院前交差点で右折、言問通りへ
今回の経路変更までは交差点を渡り、浅草寺裏のはとバス専用駐車場を経て、花やしきに向かったが、今回は右折して鷲神社に向かう。 |
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柳通り 浅草寺病院前交差点 雷5656会館
雷5656会館は、雷門左手にある常盤堂雷おこし本舗の店である。 |