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神田和泉町交差点で右折、清洲橋通りへ |
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清洲橋通り 次の交差点で左折
神田和泉町交差点の次の交差点で左折する。 |
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南めぐりん #8 柳北スポーツプラザ
左が柳北スポーツプラザらしいが、どう見ても学校である。 |
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浅草橋五丁目交差点 左衛門橋通りを渡る |
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浅草橋五丁目交差点 左衛門橋通りを渡る |
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南めぐりん #9 浅草橋駅北 |
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浅草橋一・二丁目交差点で左折 |
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下町通りを北上 |
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浅草橋三丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ
突き当りに鳥越神社の木立が見える。 |
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南めぐりん #10 鳥越神社前 |
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鳥越神社前 めぐりん ちょこっと こしかけ 案内板
時々このような石がバス停に置かれている。バス停界隈の地図が付いており、一人分の腰掛けである。 |
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鳥越神社前 めぐりん ちょこっと こしかけ 案内板 |
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鳥越神社
当神社は、白雉二年(六五一)の創建。日本武尊、天児尾根命、徳川家康を合祀している。
社伝によると、日本武尊が、東国平定の道すがら、当時白鳥村といったこの地に滞在したが、その威徳を偲び、村民が白鳥明神として奉祀したことを起源とする。後、永承年間(一〇四六−五二)、奥州の安倍貞任らの乱(前九年の役)鎮定のため、この地を通った源頼義、義家父子は、名も知らぬ白鳥が越えるのを見て、浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡った。
このことから鳥越大明神と名付けた。以後、神社名にはこの名を用いるようになり、この辺りは鳥越の里と呼ばれるようになった。天児屋根命は、武蔵の国司になった藤原氏がその祖神として祀ったものとされる。また、徳川家康を祀っていた松平神社(現、蔵前四丁目十六番付近)は、関東大震災で焼失したため大正十四年に当社に合祀された。 |
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旧 浅草鳥越二丁目 由来
鳥越神社の前に設けられている。
本町名は、鳥越神社にちなんで付けられた。この付近は平安時代後期の頃(一一八五)まで白鳥村と言われていた。日本武尊が東国平定のため東征するおり、この地にしばらくとどまった
ことから村の人々はそのご威徳を慕い尊び、白雉二年(六五一)白鳥山の山上に白鳥大明神を祀った。その後、永承(一○四六〜一〇五三)の頃、源義家親子の率いる軍勢が奥州征伐のため大川を越えようとする時、白い鳥に浅瀬を教えられ無事渡ることができた。義家公はこれ白鳥大明神のご加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。 |
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鳥越神社 |
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鳥越神社
孝徳天皇の白雉2年(651)、日本武尊が東征の折に駐在したと伝わる由緒正しい古社。東京一の重さかあることから通称「千貫神輿」ともよばれる大神輿の渡御で有名な6月の鳥越まつり、1月8日のとんど焼きなどのお祭りには遠方からも大勢の参拝客が訪れる。 |
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蔵前橋通り 蔵前四丁目交差点で左折、新堀通りへ |
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南めぐりん #11 環境ふれあい館ひまわり入口 |
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新堀通り 蔵前四丁目西交差点 |
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南めぐりん #12 水道局前 |
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新堀通り 水道局界隈 案内図
中央の横線が新堀通りで、中央やや右の赤印が現在地、その右の交差点が三筋二丁目交差点で、縦線が春日通りである。 |
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新堀通り 三筋二丁目交差点で右折、春日通りへ |
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南めぐりん #13 南部区民事務所 |
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春日通り 寿三丁目交差点で右折、国際通りへ |
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南めぐりん #14 大江戸線蔵前駅 |
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国際通り 寿四丁目交差点に向かう |
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南めぐりん #15 田原町駅
国際通りの寿四丁目交差点手前にバス停がある。 |