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吾妻橋交差点 改装中の松屋浅草店
浅草のシンボルの一つだった浅草松屋も、長引く不況に耐えられず、昨年(平成22年)の5月末で4階以上を閉鎖、規模縮小となった。これに合わせ、店名も浅草松屋から松屋浅草店となった。 |
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浅草通り 吾妻橋西詰 水上バス乗り場 |
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浅草通り 隅田川に架かる吾妻橋から見た東京スカイツリー
アサヒビールタワーの右に金色のオブジェが飾られたアサヒビール吾妻橋ホール、その後ろにアサヒビールアネックスが見える。東京スカイツリーの左には墨田区役所が見える。
この地区一帯をリバーピア吾妻橋といい、秋田藩佐竹氏の屋敷だった浩養園跡である。 |
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浅草通り 隅田川を遡上する水上バス |
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浅草通り リバーピア吾妻橋
アサヒビールタワーの前に金色のオブジェが飾られたアサヒビール吾妻橋ホール、その右にアサヒビールアネックスが見える。 |
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夢の下町(両国ルート) #10 バス停 リバーピア吾妻橋前
アサヒビール吾妻橋ホール前の階段下に他の路線と共用するバス停がある。 |
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浅草通り リバーピア吾妻橋から見た東京スカイツリー |
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浅草通り 上野松坂屋前に向かう夢の下町バス(両国ルート)
夢の下町バスは前面の表示幕が緑だと両国ルート、青だと錦糸町ルートである。 |
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浅草通り 吾妻橋一丁目交差点
五差路で、南(写真右)から区役所通りが来て交差点から墨堤通りとなって墨田区役所に至る。写真では見えないが右手には駒形橋から来る清澄通りがある。 |
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浅草通り 吾妻橋交番前交差点で三ツ目通りを渡る
交差点には竹かご細工の東京スカイツリーが飾られている。 |
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浅草通り 吾妻橋交番前交差点 周辺案内図
歩行者に分かりやすい表記なので、北が下である。右下が隅田川、そこに注ぐのが北十間川で、左上下の緑の線は大横川親水公園である。 |
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浅草通り 南蔵院跡(しばられ地蔵と業平伝説)
この一画には、しばられ地蔵でよく知られる南蔵院という寺院がありました。しばられ地蔵とは、大岡政談で一役買ったお地蔵様のことです。
ある時、日本橋木綿問屋の手代が業平橋の近くで商品の反物を盗まれてしまいます。商いの疲れからお地蔵のそばで居眠りをしている間のことなので、手がかりがまるでありません。そこで町奉行大岡越前守は一計を案じ、このお地蔵様を犯人として縛り上げ奉行所に運びました。その上、お白州で地蔵の裁きをする旨のお触れまで出したのです。この噂はたちまち広まり、お裁き当日の奉行所は詰めかけた野次馬でごったがえし大混乱となりました。越前守は騒ぎを起こした罰と称して、見物に集まった人々に一反ずつ反物を納めさせました。すると、集まった反物の中には予想どおり盗品が混じっていました。越前守は納め主を割り出して真犯人を捕らえ、事件は無事解決したのでした。
この話から、南蔵院のお地蔵様を縛ってお願いすると、失くしたものが戻ってくるとか、泥棒よけのご利益があると信じられるようになり、しばられ地蔵と呼ばれ、人々の信仰を集めるようになりました。
一方、南蔵院の境内にはかつて業平天神社がありました。平安時代の歌人・在原業平をまつったものといわれます。業平は、隅田川を舟で渡ったときに「名にし負はば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」と詠みました(「伊勢物語」)。現在も地名や橋の名前などに業平の名前を残しているのは、このことに由来しています。
南蔵院は、昭和元年(一九二五)に葛飾区水元に移転しましたか、現在でもしばられ地蔵の信仰と風習で知られています。 |
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浅草通り 業平橋から見た東京スカイツリー |
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浅草通り 業平橋から見た大横川親水公園 |
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浅草通り 業平一丁目交差点から見た東京スカイツリー
少し前まであった頂上のクレーンが無くなり、すっきりした印象である。 |
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浅草通り 業平一丁目交差点
左折すると言問通りで、北十間川に架かる東武橋は東京スカイツリー撮影の有名ポイントだった。 |
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夢の下町(両国ルート) #11 バス停 業平橋 |
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夢の下町(両国ルート) #11 バス停 業平橋
赤線が夢の下町バスの路線図である。 |
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夢の下町(両国ルート) #12 バス停 押上
同じようなバス停が2ヶ所あるが、手前である。押上駅前交差点とは少し離れている。
このバス停まで錦糸町駅前行きと、両国行きととが停まっていたが、次のバス停は別々である。 |
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夢の下町(両国ルート) #12 バス停 押上
業平橋バス停では路線図は上を向いていたが、今囘は下向きの赤線である。 |