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清澄通り 横網町公園前交差点で右折
交差点角に第一ホテル両国がある。 |
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東京都慰霊堂
東京都慰霊堂は元々昭和5年に震災記念堂として建てられ、東京大空襲などの死者を改葬して昭和31年に東京都慰霊堂と改称した。寺院風の建物に、三重塔が設けられている。 |
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築地本願寺 慈光院
大正十二年(一九二三年)九月一日の関東大震災を記念して築地本願寺が建立したものです。
宗名 浄土真宗本願寺派(西本願寺)
宗祖 見真大師 親鸞聖人(一一七三〜一二六一)
本尊 阿弥陀如来の尊像は当時の市内各地の遭難者の遺骨
粉を塗入し、漆蒔金粉を施した立像。体内にも長さ三〇
センチ直径三センチの筒に遺骨が収めてあります。
(京都美術学校教授 森 鳳声作)
梵鐘・鐘楼 関束大震災および第二次世界大戦の一切の犠牲
者をしのび昭和三十四年広く一般の御協力をえて
完成されたものです。
納骨堂 御依頼による一般の御遺骨を一時保管しております。 |
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築地本願寺 慈光院
東京都慰霊堂の三重塔が斜め向かいに見える。 |
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夢の下町(両国ルート) #13 バス停 都営両国駅前(新設)
今囘の経路変更により新設されたバス停である。 |
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旧安田庭園
旧安田庭園は元禄4年(1701)、後の常陸笠間藩五万石の藩主、本庄因幡守宗資が下屋敷として拝領し、この庭園は宗資が築造したと伝えられている。中央に「心」字をかたどり、隅田川の水を引き入れた池を配し、潮の干満によって変化する景観を楽しむ、いわゆる潮入り回遊式庭園である。
明治になって旧備前岡山藩池田章政邸となり、明治24年(1891)安田財閥の創始者安田善次郎の所有となった。安田翁の逝去後、家屋及び庭園は大正11年(1922)、東京市に寄付された。 |
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旧安田庭園 |
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突き当りを左折、国技館通りへ
国技館通りは墨田川の堤防沿いにある。 |
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国技館通り 両国公会堂前 両国物語 椎の木屋敷跡 2
本所七不思議の一つ、「落ち葉なしの椎」があった松浦家という大名屋敷は、この辺りにありました。
庭には立派な椎の木がありましかが、この木から葉が落らるのを誰も見たことがありませんでした。その噂はたちまち江戸中に知れ渡り、松浦家は「椎の木屋敷」と呼ばれるようになりました。
もともと椎の木というのは常緑樹で、落ら葉は少ないものですが、それでも一枚も落ち葉がないということが不思議です。大名屋敷という庶民からすれば特別の場であったために、このような伝説が広まったと考えられます。 |
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国技館通り 両国公会堂 |
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国技館通りを南下 |
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国技館通り 旧安田庭園
旧安田庭園の南西の門である。 |
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国技館通り 旧安田庭園前 舟橋聖一生誕記念碑
作家舟橋聖一は明治37年(1904)12月25日に、本所区横網町二丁目二番地に生誕。
作家、国文学者として盛名高く、その七十二年の生涯は権威に屈せず、市井の文人、文学者として独自の風格を以って貫かれている。
代表作の一つ、「花の生涯」は井伊大老の生涯を綴った醇乎たる逸品であるが、文学者、文化人として、前人未踏の道を歩いた作者の人生行路もまた、そのまま花の生涯と呼ぶにふさわしいものである。
井上 靖
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国技館通り 旧安田庭園前 舟橋聖一生誕記念碑
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国技館通り 両国国技館 |
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国技館通り 両国国技館 |
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国技館通り 両国国技館 |
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国技館通り 両国国技館 |
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国技館通り JR 両国駅 |
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国技館通り 両国駅西口のガード下を進む |
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夢の下町(両国ルート) 終点 バス停 両国駅前 |
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夢の下町(両国ルート) 終点 バス停 両国駅前 |