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上野駅〜品川駅〜横浜駅
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上野駅〜東京駅〜品川駅
上野駅不忍口からアメ横を南下、開店準備中で、独特の客寄せのダミ声はない。アメ横突き当りの御徒町駅前で右折、春日通りに入り、上野広小路交差点で左折、中央通りへ進む。外神田五丁目交差点で左折、蔵前橋通りを歩き、JRガード前で御徒町2k540へ寄るもオープン前で入れず、JRの線路沿いに南下する。秋葉原UDX、秋葉原ダイビル、Gundam Cafeと過ぎて秋葉原駅(電気街口)に至る。古色蒼然としていた秋葉原デパートは解体され、アトレ秋葉原1としてオープンしている。
秋葉原駅(電気街口)から中央通りに戻り、神田川に架かる万世橋、須田町交差点で靖国通りを渡り、神田駅を過ぎて今川橋交差点で右折、神田金物通りへ進む。竜閑橋交差点で左折、外堀通りへ入り鎌倉橋交差点で左折、錦町有楽町線(都道402号)を南下する。欄干に米軍の機銃掃射の銃弾の跡が残る日本橋川に架かる鎌倉橋を渡り、赤いオブジェがある東京サンケイビル、逓信総合博物館(ていぱーく)と過ぎて、都道402号は大名小路の通称となり、新丸ビル、丸ビルが聳える東京駅(丸の内北口)に着く。改築中の丸の内北口は、天井には防護幕が、通路沿いには工事用フェンスが張り巡らされて進捗状況は分からない。
大名小路(都道402号)を南下、スカイバス東京の始発バス停がある三菱ビル、三菱一号館美術館、東京国際フォーラムと過ぎて有楽町駅(日比谷口)を通り、突き当たり交差点で左折、晴海通りへ出る。オープン間もないルミネ有楽町前を経て、数寄屋橋交差点で右折、西銀座通り(外堀通り)へ進み、ソニービル、土橋交差点を通り、新橋駅銀座口前交差点を渡って新橋駅に至る。
外堀通りを東進、新橋交差点で右折して第一京浜に入り、ゆりかもめ新橋駅の高架下を進む。時折左手に汐留シオサイトの5区イタリア街が見える第一京浜を南下、新橋五丁目交差点を過ぎ大門交差点で左折、浜松町駅に着く。第一京浜に戻り、古川に架かる金杉橋を渡り、芝四丁目交差点でほぼ直角に右折、芝5丁目交差点の江戸開城 西郷南洲、勝海舟会見之地碑を見た後、田町駅に着く。第一京浜を南下し、札の辻交差点、高輪大木戸跡、泉岳寺交差点と過ぎて品川駅に至る。
品川駅〜蒲田駅〜川崎駅
品川駅高輪口で左折、第一京浜を南下し、八ツ山橋交差点で左折、八ツ山橋を渡り新八ツ山橋東詰交差点で左折して第一京浜へ戻る。京急本線北品川駅、小山の富士塚がある品川神社と過ぎ、北品川二丁目交差点で山手通りを渡り、南品川四丁目交差点で右折、ゼームス坂へ進む。突き当たりのゼームス坂上交差点で右折、区役所通りへ入り、直ぐ先の大井町駅前交差点で左折して大井町駅に至る。
大井町駅の東口から連絡通路で西口に出て、京浜東北線沿いに南下、大井町陸橋手前のヴィアイン東京大井町角で右折、三ツ又商店街を上る。大井三ツ又交差点で池上通り(都道421号)へ入り、品川区立歴史資料館、鹿嶋神社と経て大森貝塚遺跡庭園に着く。庭園内には、縄文の広場、貝塚模型の地層の回廊、モース博士胸像、品川区・ポートランド市 姉妹都市提携記念碑がある。池上通り(都道421号)をさらに進み、山王口交差点手前のNTTデータ敷地内にもう一つの大森貝塚があり、大きな大森貝墟碑を見た後、大森駅に至る。
池上通り(都道421号)沿いの大森駅前商店街のウィロード山王を歩き、春日橋交差点で左折、環七通りへ進んでJR跨線橋の春日橋を渡り、沢田交差点で右折してオニタビ通りへ入る。オニタビとは「鬼足袋」のことで、鬼足袋工業の工場が大森にあったという。大森第八中学校を過ぎ、東邦医大通りと名前が変わって東邦大学医療センター大森病院を経て、あやめ橋交差点で右折、多摩堤通りへ進み、呑川に架かるあやめ橋を渡って蒲田駅に至る。
蒲田駅前道路を西進し大田区役所入口交差点で左折、環八通りへ入り、南蒲田交差点で右折、第一京浜へ進む。交差点の京急本線の高架に「上下線高架化完成」の横断幕が掲げられ、第一京浜と環八通りとの立体交差化工事が行われている。第一京浜を進み、六郷橋北詰交差点で側道に入り、突き当りの六郷橋との連絡道路脇を通り宮本台緑地へ出る。旧六郷橋の橋門と親柱、六郷橋のおいたち説明など旧六郷橋遺構がある。見物後、多摩川に架かる六郷橋を歩き川崎に向かう。
六郷橋の側道を下りると旧東海道の案内碑があり、「六郷の渡しと旅籠街」の説明板がある。さらに道なりに進むとOKスーパーの壁に「史跡めぐり案内」が掲示されている。本町交差点で大師道(国道409号)を渡ると、川崎宿の遺構説明が続き、田中本陣(下の本陣)、宝暦十一年(一七六一年)の大火、宗三寺などがあり、右折すると京急川崎駅の砂子一丁目交差点の先の砂子交差点で右折、市役所通り(県道9号)へ入る。川崎駅前東交差点を渡り、川崎駅に着く。
川崎駅〜鶴見駅〜横浜駅
川崎駅前の仲見世通、銀柳街と経てLA CITTADELLA (ラチッタデッラ)前で左折、新川通りへ入り、小土呂橋交差点で右折、旧東海道川崎宿に進む。小川町通りを南西に歩き、川崎宿京入口の説明板を見た後、川崎警察署東側入口交差点で市電通りを渡る。川崎警察署の向かいの日進町町内会館「麦の郷」に掲示された「麦の郷」の由来や、すぐ先の俳人松尾芭蕉の句碑を過ぎて、道路の突き当たりにある京急本線八丁畷駅に至る。
京急本線八丁畷駅横の踏切を渡ると、八丁畷の由来と人骨説明板と慰霊塔がある。八丁畷の付近では、江戸時代から多くの人骨が発見され、戦後になっても、道路工事などでたびたび掘り出された。市場上町交差点、熊野神社と経て市場一里塚を見た後、鶴見川に架かる鶴見川橋を渡ると鶴見宿の遺構が続く。
寺尾稲荷道道標、鶴見図書館前の旧東海道案内板と過ぎ、鶴見駅東口入口交差点で区役所通りを渡りさらに歩くと急本線京急鶴見駅に着く。JR鶴見駅は右手のバスロータリーの方にある。JR鶴見駅は駅ビル工事中で西口への連絡通路が非常に不便である。鶴見駅西口交差点に出て左折、JR線路沿いに南下しJR鶴見駅西口のバスロータリー、鶴見大学と通り、曹洞宗大本山總持寺の入口に至る。
總持寺は元亨元年(1321年)瑩山禅師により能登に開創されたが、明治31年の大火で多くが焼失、今後の発展を考え、明治44年に鶴見に移転した。参道(白字渓)の坂を上り、三松関(総門)、三門を通り右折すると、信者のための研修道場で、宿泊施設でもある三松閣に着く。金鶏門から境内に入ると、正面右に大祖堂(瑞応殿)、左に仏殿が見える。貴賓接待用の紫雲臺から西に進み、大祖堂(瑞応殿)、詳細不明だが珍しい銀色の仏像の横に仏殿があり、突き当りに總持寺が能登から移転されて、最初に法要が厳修された放光堂がある。向唐門、香積台
(総受付)、三松閣と経て、参道(白字渓)を下る。
總持寺入口前のJR跨線橋を渡り、突き当りの総持寺入口交差点で右折、第一京浜へ出る。すぐ先の下野谷町入口交差点は、京急鶴見駅から旧東海道を歩いて来ると出る交差点で、第一京浜を渡って直進すると旧東海道の生麦魚河岸通りである。第一京浜を進み、生麦地区センター、大黒町入口交差点と過ぎ、生麦一丁目交差点に着く。旧東海道(生麦旧道)と第一京浜とが合流する所で、幕末の大事件である生麦事件碑があったが、今はキリンビール正門近くに移設されている。第一京浜の新子安駅入口交差点で右折、京急本線の踏切の向こうにJR新子安駅がある。
第一京浜の入江橋交差点、諸外国の領事館になることを避けるため、本堂の屋根をはがし、修理中とした良泉寺と過ぎ、神奈川二丁目交差点で右折して京急本線の高架下をくぐり東神奈川駅(東口)に着く。国道1号に出て、JRの線路沿いに南西に進み、青木橋交差点で左折、続けて青木通交差点で右折し派新田間川に架かる金港橋を渡り、右折して横浜駅(きた東口)に至る。
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