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根岸線沿い 関内駅南口交差点 港町魚市場跡 |
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根岸線沿い 関内駅南口交差点 港町魚市場跡
港町魚市場を偲ぶ
明治四年神奈川県令陸奥宗光は高嶋嘉右衛門に市場開設を許可す。明治七年高嶋嘉右衛門は更に船便良き港町に市場を移す。明治四十二年嘉右衛門の代横浜港町魚問屋組合長太田徳次郎は横浜食品市場株式会壮を設立し市場一切を買収し水産物青果物問屋に店舗を貸し日増しに繁昌せり。然るに昭和六年横浜市中央卸売市場開場に伴ひ業者全部新市場に入場し土地千二百七十坪横浜市に譲渡せり。
本年は十月、五十周年を目出度く迎えらる、当時の横浜食品市場会社社長太田徳次郎専務岡田岩蔵常務畠山国太郎取締役落合三次郎、新井万次郎、石黒久次郎、吉橋龍太郎、いづ兼料亭千登世、八百政吉兼あらゐ屋可祢田等其の後続き居る業者半数に及ぶ魚河岸関係者八十余名にて青果業有力者八百友、八百信、八百清、八百吉商店五十周年を迎えて記念として碑を建立す。 |
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根岸線沿い 関内駅南口交差点でみなと大通りを渡る
左折すると横浜公園の西側を通り、県庁前交差点に出る。交差点を渡ると横浜スタジアムである。 |
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根岸線沿い 横浜公園 横浜スタジアム
高い賃貸料だけでなく、応援グッズなどの売上も球団に渡さず、横浜ベイスターズ売却の一因と言われている。もっとも、横浜スタジアムの社長は払えないなら出て行け、と喝破している。 |
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根岸線沿い 横浜スタジアム前交差点で大桟橋通りを渡る
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根岸線沿い 横浜スタジアム前交差点で大桟橋通りを渡る
大桟橋通りは横浜公園の東側の道路である。 |
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根岸線沿い 中華街西門交差点
左には中華街の西門である延平門があり、右折して道なりに歩くと石川町駅の中華街口(北口)に出る。 |
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根岸線沿い 横浜中華街 延平門(西門)
石川町駅の横浜側の改札口を出たところにある。感覚的にはどう考えても南門である。中華街の公式ホームページには、隣接する道路が45度傾いているので錯覚するが、各門は正しい方角を向いている、と主張している。 |
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根岸線沿い 中央病院前交差点 石川町JCT
根岸線沿いに北から来る横羽線と東西を走る狩場線とのジャンクションである。 |
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西の橋交差点で中村川を渡る
高架は高速神奈川3号狩場線である。 |
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本牧通り 元町交差点で右折 |
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本牧通り 元町交差点 元町通り 元町商店街 入口のモニュメント
元町交差点を左折すると元町通りで、元町商店街となる。 |
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石川商店街を西進 |
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JR 京浜東北線・根岸線 石川町駅(元町口) |
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元町交差点に戻り、右折して本牧通りへ |
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本牧通り 山手隧道入口
本牧通りを南下すると、本牧から石川町に向かう右側の隧道と、反対方向の左側の二股になる。 |
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本牧通り 山手隧道
本牧に向かう右側の隧道を歩く。歩道は右側にしか無い。 |
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本牧通り 山手隧道
入口に横浜市認定歴史的建造物のプレートがあり、それによると建造は1928(昭和3)年、設計者 内務省復興局とある。 |
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本牧通りを南下
山手隧道を出ると、本牧通りの標識がある。 |
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本牧通り 麦田交差点から南東に進む |
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本牧通り 麦田交差点 市電車庫跡地
明治44年12月26日に横浜電気鉄道の桜道下引込線として発足、幾つかの経緯があり、昭和45年7月1日に麦田車庫が廃止された。 |
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本牧通り 山手公園入口交差点 |
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本牧通り 南東に進む |
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本牧通り 山手駅入口交差点で右折、山手駅前商店街へ |
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山手駅前商店街を南西に進む
交差点から駅まで距離は600mだが、一直線なので実際以上に長く感じる。 |
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山手駅前商店街を南西に進む
根岸線の高架を根岸駅界隈の旧日石(現 JX日鉱日石エネルギー)のタンク車が走っていた。 |
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JR 京浜東北線・根岸線 山手駅
根岸線の高架を過ぎて根岸森林公園に向かう。 |