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国道16号 聖天橋交差点
聖天橋交差点で右折、杉田新道(プロムナード杉田)を進むと、京急本線杉田駅に着く。 |
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国道16号 新浜交差点で根岸線高架下を進む |
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国道16号 新浜交差点 旧杉田劇場跡
根岸線高架下に掲示されている。
横浜中心部が焼け野原だった昭和21年の元旦、この場所に「杉田劇場」がオープンしました。昭和町の日本飛行機の下請けでプロペラ製作工場を経営していた高田菊弥氏が工場を改装し、日本飛行機から木材の払い下げを受けて建てたものです。定員320名でロビーには売店、寿司のカウンター、軽食喫茶室などもあり、観客席から裏庭に出るとすぐ海で真下まで波が寄せていました。
生活苦に追われる時代でしたが心の糧として盛況で、戦後磯子の文化の発祥地となりました。この年の4月頃、専属の「大高ヨシオー座」の幕あいで滝頭の魚屋の長女8歳の美空ひばりが美空一枝の芸名で出演したのが彼女の芸能界へのデビューです。東京歌舞伎もしばしば来演し、昭和23年6月にはGHQの解禁後横浜で初めての「仮名手本忠臣蔵」が上演されました 戦後横浜アマチュア演劇のはしり「劇団葡萄座」も21年11月から前後9回の公演を行い、中でも23年10月磯子在住の神谷量平作「ヴォルガ収容所」は大入り満員で札止めの騒ぎでした この劇でシベリア抑留中の兵士たちが祖国を偲んで歌ったのが「異国の丘」です。これは一躍人気歌謡曲となり日本中で歌われました。
杉田劇場は横浜市内の復興につれわずか4年で閉館に追い込まれました。平成17年2月に「らびすた」の中に誕生した「磯子区民文化センター・杉田劇場」は60年前の人々に親しまれた初代の名が区民によって選ばれたものです。 |
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国道16号 杉田交差点で道なりに右に曲がる |
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国道16号 青砥坂交差点で右折、環状3号線へ |
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国道16号 青砥坂交差点で右折、環状3号線へ
京急本線を歩いた時は国道16号を直進した。 |
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環状3号線 坂を上りつつ西進 |
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環状3号線 杉田梅林トンネル |
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環状3号線 杉田梅林トンネル |
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環状3号線 京急本線を跨ぐ杉田跨線橋
京急本線を跨ぐが、根岸線は環状3号線の右を平行して走る。 |
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環状3号線 杉田坪呑東側交差点 |
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環状3号線 杉田坪呑東側交差点から見える根岸線
交差点から右下に根岸線が平行して走るのがよく見える。 |
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環状3号線 杉田隧道
坂の上り下りが続く。 |
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環状3号線 栗木交差点で笹下釜利谷道路を渡る |
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環状3号線 栗木交差点で笹下釜利谷道路を渡る
笹下釜利谷道路は県道22号線で、右折すると京急本線の上大岡駅に向かう。 |
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環状3号線 左に大きく曲がり南下 |
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環状3号線 峰入口交差点手前で右折、住宅街の階段を上る
環状3号線を進んで右折、洋光台通りを北上して洋光台駅に出る方法もある。分り易いが遠回りになる。
直前にフェンスがあり階段が見えにくいので、前回は気付かず通りすぎて峰入口交差点で気づいて戻った。 |
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環状3号線 峰入口交差点手前で右折、住宅街の階段を上る
階段の先に萩台バス停があり、その先に峰入口交差点が見える。 |
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住宅街 洋光台四丁目第二公園
住宅街なのでいくつもの交差点があるが、ただひたすらに直進する。 |
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住宅街 洋光台四丁目第二公園 |
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住宅街 江ノ電バス 洋光台四丁目バス停
すこし先に洋光台第2小前交差点が見える。 |
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住宅街 洋光台第2小前交差点 |
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住宅街 洋光台4丁目交差点で右折
交差点の右角に洋光台ひろば公園がある。
後で前回のコースを見たが、この交差点で右折せず、直進して洋光台通りに出て右折、北上する方が分かりやすい。 |
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住宅街 洋光台ひろば公園
遊具は何もなく、だだっ広い広場である。 |
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UR都市機構 洋光台団地沿いの坂を下る |
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坂を下った所に洋光台駅がある |
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JR 京浜東北線・根岸線 洋光台駅
かつて根岸線は洋光台駅止まりだったが、昭和48年に大船駅まで延伸した。 |