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等々力緑地 |
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等々力緑地 桜並木の緑地内道路
立派な桜並木が続く。緑地内道路の入口にはテニスコートがある。 |
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等々力緑地 等々力陸上競技場 |
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等々力緑地 川崎フロンターレのマスコット |
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等々力緑地 等々力陸上競技場
等々力陸上競技場はJ1の川崎フロンターレのホームグランドである。かつては川崎ベルディ(現 東京ベルディ)の本拠地であったが、移転後は川崎フロンターレの本拠地となった。 |
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等々力緑地 日本庭園
蓮池の開花した蓮が見事である。 |
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等々力緑地 日本庭園 |
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等々力緑地 釣り池
有料のせいか、誰もおらず、日本庭園の蓮池に多くの釣り人がいる。 |
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等々力緑地 中央グランド
手前に多目的広場、その右手に補助陸上競技場がある。左奥は等々力アリーナ、右奥には市民ミュージアムがある。 |
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等々力緑地 中央グランド |
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等々力緑地 補助陸上競技場、市民ミュージアム |
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等々力緑地 市民ミュージアム、トーマス転炉(NKK寄贈)
トーマス転炉(NKK寄贈)
外径約4.2m
高さ約7.6m
重量約60トン
このトーマス転炉は、イギリス人シドニー・G・トーマスによって発明された燐を含む鉄鉱石の利用を目的とした製鋼炉である。 NKK(日本鋼管株式会社)では、昭和12(1937)年にトーマス転炉を導入し、翌年から昭和32年まで京浜製鉄所に設置し、稼動させていた。
設置当時、日本は満州事変などによる景気の好転を背景に、鉄鋼の国産化推進が強く求められていた。NKKの今泉嘉一郎は、輸入スクラップに依存しない鋼の高能率製造法としてこの転炉に着目し、ドイツで普及していた転炉を、我か国で唯一導入したのである。これによりNKKは、民間鉄鋼業界では初めての銑鉄一貫体制を実現させた。
このようにトーマス転炉は、日本の鉄鋼業界の発展に大きく貢献し、世界屈指の鉄鋼生産国に日本を成長させる基礎を作ったのである。
それと同時に、京浜工業地帯発展史の上でも象徴的な産業遺産と言えるだろう。 |
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等々力緑地 市民ミュージアム、トーマス転炉(NKK寄贈) |
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等々力緑地 市民ミュージアム前から見た武蔵小杉駅前風景
もやっているので分かりにくいが、左が向河原のNECビル、中央手前が武蔵小杉タワープレイス、その後ろを含む高いビルは高層マンションである。 |
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等々力緑地 石板「工業報国」
この石板は、近代日本の工作機械産業に名を刻む、池貝鉄工所の工場に設置されていた石碑の一部である。
池貝鉄工所は、明治22年(1889)創業。国産第1号の旋盤や石油エンジンを開発、製造するなど、日本の工作機械を牽引してきた企業である。戦時体制下では、国家の総動員試験研究令に基づき航空機エンジンなども製造、川崎市内に3ヶ所の工場を建設した。
そしてこの石板は、創業50周年と紀元2600年を記念し、戸手工場内に設覆されたものである。その後別の工場(幸区神明町)に移設されたが、平成14年(2002)工場の閉鎖に伴い石碑も取り壊される予定の中、地元の有志の人たちによって保存された。
産業都市として発展してきた川崎は、あらゆる分野で日本の「ものづくり」を牽引してきた。この石板は池貝鉄工所の存在とともに、近代川崎の歴史を物語るモニュメントとして、ここに設置した。 |
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等々力緑地 石板「工業報国」
川崎ミュージアム前のトーマス転炉と言い、この石板と言い「工都川崎」の記念碑である。 |
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等々力緑地 21世紀の森
等々力アリーナの西側、府中街道の間にある21世紀の森には各国の彫刻が展示されている。 |
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等々力緑地 等々力アリーナ |
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等々力緑地 催し物広場
等々力アリーナの先にある広場で、左に野球場がある。 |
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等々力緑地 正面入口前噴水
左にアリーナ、右に野球場がある。 |
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等々力緑地 正面入口 「健康美」 |
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等々力緑地 正面入口
正面入口は等々力緑地の南側に位置し、府中街道が前を走る。 |