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JR 埼京線 赤羽駅(西口)
【撮影記録】
平成25年 8月 3日 晴れ
9:45〜11:15 9,300歩 (概算 6.5km 地図上 6.0km)
埼京線 赤羽〜浮間舟渡〜戸田公園
営業距離 5.5km 駅数 4
戻り梅雨でジトジトした雨や曇り空が続き、午後からはゲリラ豪雨という変な天気が続き、久しぶりに晴れたので歩いた。ところが久しく歩いていなかったので体力が落ちており、行程の半分の戸田公園までで歩くのを断念した。さすがに歳を感じた。 |
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赤羽駅 西口風景
左奥のイトーヨーカドーがある交差点に向かう。 |
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赤羽駅西口 イトーヨーカドー前交差点で右折、赤羽並木通りへ
赤羽並木通りは、イトーヨーカドー前交差点から赤羽台団地、諏訪神社を経て環八通りとの交差点まで続く1.4kmの北区区道で、平成元年に名称が設定された。 |
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赤羽並木通り 赤羽台トンネル横の階段を上る
赤羽台トンネルは自動車専用で、脇の階段を上り、赤羽台団地を通る。赤羽台トンネルについては階段を上った所に記念碑がある。 |
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赤羽並木通り 赤羽台団地
階段を上った所に小公園があり、その奥に赤羽台トンネル記念碑がある。 |
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赤羽並木通り 赤羽台団地 赤羽台トンネル記念碑
三千三百世帯の人々が生活する緑豊かな赤羽台団地に、赤羽地区のまちづくりを促すための都市計画道路の建設が提議された。
団地を南北に分断するこの道路は、交通の利便性と引き替えに住環境の悪化と、生活の便益を損なうおそれがあった。このため団地住民は全面地下方式を強く主張し、行政は半地下掘割方式を提示し、両者のあいだに数年に及ぶ相克がつづいた。 住民は悩み、考え、行動し、深い苦渋をもって行政側の要望を選択した。その後 両者は細部に及ぶ円満な合意づくりをめざして、対話と研究に多大の努力をかさねたすえ、今ここに、新しく修景された”赤羽台トンネル”の実現をみた。 この地に住む人々の知恵とたゆみない努力の結晶として生まれたこの周辺環境が真に住民のものとして末永く健全に守られ、育成されることを願いひたむきに取りくんだ多くの人々の努力の証として、この碑を置く。 |
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赤羽並木通り 赤羽台団地 赤羽台トンネル記念碑
同じような碑は、東京メトロ有楽町線の小竹向原駅前にある三六道路の碑がある。 |
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赤羽並木通り 建て替え工事が進む赤羽台団地
赤羽台団地は、昭和37年に23区で初めての大規模団地として造成された公団団地である。老朽化が進み、ヌーヴェル赤羽台として建て替え工事が進められている。 |
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赤羽並木通り 建て替え工事が進む赤羽台団地
解体工事の通知がなされ、赤羽並木通り沿いの団地1階にあった商店街も閉鎖されている。 |
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赤羽並木通り 赤羽台三丁目交差点
交差点を渡った右側に区立八幡小学校があり、交差点の右手前に赤羽台トンネルの出口がある。 |
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赤羽並木通り 立派なサクラ並木が続く |
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赤羽並木通り 東京北社会保険病院前交差点
東京北社会保険病院は交差点で右折した奥にあり、交差点にある建物はマンションである。 |
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赤羽並木通り 諏訪神社前交差点 |
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赤羽並木通り 諏訪神社
右に神楽殿、左の木立の後に社殿がある。 |
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赤羽並木通り 諏訪神社
祭神は建御名方尊です。別当寺であった真頂院(足立郡川口宿寺末寺)の寺伝によれば、応永三年(一三九六)九月、同院第一世秀善和尚が創立したものだそうです。末社には、稲荷神社二社、八幡神社、須賀神社、白山神社、猿田彦神社があり、それぞれ宇迦之御魂命、品陀和気命(応神天皇)、須佐之男命、伊佐那岐命、猿田彦命を祀っています。
「新編武蔵風土記稿」には、神社の末社である丸山権現がかつての袋村の鎮守で、後にこの諏訪神社に改められたことが記されています。 かって社前には、袂杉と呼ぼれた名木があり、神社の御神木にもなっていました。これは、真頂院の和尚が、諏訪(長野県)から両方の袂に入れて持ち帰り、神社の前後に植えた杉苗の内の一つでした。
現在御神木の切株は、本殿の裏に移され、残っています。 |
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赤羽並木通り 諏訪神社 熱中症計は厳重警戒
現在時刻は10:05で、熱中症計の温度は33.5℃、湿度は51%である。
歩き始めてわずか20分であるが、蒸し暑さを感じて熱中症計をチェックした。夏としてはさして問題になるような温度、湿度ではないが、戻り梅雨で30℃を下回る日もあったため、体調が慣れておらず、汗が吹き出す。 |
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赤羽並木通り 諏訪神社
諏訪神社
祭神 建御名方命
由緒
当社は別当寺であった真頂院の寺伝によれば応永参年(一三九六年)九月同院第一世秀善和尚が創立したものと伝えられております。かつて社前に袂杉と呼ばれた名木があり、この神社の神木となっていました。これはいつの頃か真頂院の和尚が諏訪(長野県)から両方の袂に入れて持って来た杉苗をこの神社の前と後に植えたものゝうちの前のものと伝えられています。
現在この切株が本殿の裏に移されて残っています。
新篇武蔵風土記稿にはこの神社の末社に丸山権現と山王社があり、丸山権現がかつての袋村の鎮守で後にこの神社に
改められた事や、山王社の傍の石碑(山王権現の石碑)寛政拾弐年(一八〇〇年)建立に建久五年(一一九四年)勧請と彫られているがその出所は不明であることが記されています。 |
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赤羽並木通り 諏訪神社 |
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赤羽並木通り 諏訪神社 宮の坂
坂の名前にある「宮」は、この地域の旧村名である袋村の鎮守、諏訪神社のことを指しており、坂道はこの神社の参道を経て赤羽方面へ と抜けていきます。 神社の二の鳥居前にも切通しの坂がありますが、これは新しく出来た坂で、宮の前の坂 と呼ばれています。この坂も宮の坂と同様に交通量が多い坂です。 |
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赤羽並木通り 赤羽北二丁目交差点で環八を渡り、都道赤羽西台線(都道447号)へ |
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都道赤羽西台線(都道447号) 浮間橋交差点で東北新幹線、埼京線の高架下を進む |
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都道赤羽西台線(都道447号) 新河岸川に架かる浮間橋
桜並木で有名な新河岸川一帯は、下流で荒川に合流する。北赤羽駅のホームは浮間橋沿いに設けられている。 |
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JR 埼京線 北赤羽駅
浮間橋を渡り、少し北上した所に北赤羽駅の改札口がある。 |