|
JR 埼京線 赤羽駅
【撮影記録】
平成21年 7月 3日 曇り
10:15〜14:15 19,700歩(昼食 30分) (概算 15.8km)
埼京線 赤羽〜戸田公園〜武蔵浦和
営業距離 10.6km 駅数 7
気温はそれほどではないが、ここ数日夕方から明け方にかけて結構降るため、曇り空だが蒸すのが辛い。
赤羽から北赤羽は大規模団地の中を歩き、それ以降は5年前と同じコースを歩いた。大きくは変わっていないが、蒸し暑さに苦労したことを思い出した。前回は北戸田で止めたが、今回はその先の武蔵浦和まで歩いたが、少しばてた。 |
|
JR 赤羽駅 西口風景
都道赤羽西台線の始点で、イトーヨーカドーとビビオの間を歩く。 |
|
都道赤羽西台線 赤羽台トンネル
赤羽台トンネルは自動車専用で、脇の階段を上り、赤羽台団地を通る。赤羽台トンネルについては階段を上った所に記念碑がある。 |
|
都道赤羽西台線 赤羽台団地 赤羽台トンネル記念碑
三千三百世帯の人々が生活する緑豊かな赤羽台団地に、赤羽地区のまちづくりを促すための都市計画道路の建設が提議された。
団地を南北に分断するこの道路は、交通の利便性と引き替えに住環境の悪化と、生活の便益を損なうおそれがあった。このため団地住民は全面地下方式を強く主張し、行政は半地下掘割方式を提示し、両者のあいだに数年に及ぶ相克がつづいた。
住民は悩み、考え、行動し、深い苦渋をもって行政側の要望を選択した。その後 両者は細部に及ぶ円満な合意づくりをめざして、対話と研究に多大の努力をかさねたすえ、今ここに、新しく修景された”赤羽台トンネル”の実現をみた。
この地に住む人々の知恵とたゆみない努力の結晶として生まれたこの周辺環境が真に住民のものとして末永く健全に守られ、育成されることを願いひたむきに取りくんだ多くの人々の努力の証として、この碑を置く。 |
|
都道赤羽西台線 赤羽台団地 赤羽台トンネル記念碑
同じような碑は、東京メトロ(旧営団)有楽町線の小竹向原駅前にある三六道路の碑がある。 |
|
都道赤羽西台線 赤羽台三丁目交差点
交差点右手には八幡小学校がある。 |
|
都道赤羽西台線 桜並木を西進 |
|
都道赤羽西台線 東京北社会保険病院前交差点 |
|
都道赤羽西台線 東京北社会保険病院前交差点 |
|
都道赤羽西台線 諏訪神社前交差点 |
|
都道赤羽西台線 諏訪神社
祭神は建御名方尊です。別当寺であった真頂院(足立郡川口宿寺末寺)の寺伝によれば、応永三年(一三九六)九月、同院第一世秀善和尚が創立したものだそうです。末社には、稲荷神社二社、八幡神社、須賀神社、白山神社、猿田彦神社があり、それぞれ宇迦之御魂命、品陀和気命(応神天皇)、須佐之男命、伊佐那岐命、猿田彦命を祀っています。
「新編武蔵風土記稿」には、神社の末社である丸山権現がかつての袋村の鎮守で、後にこの諏訪神社に改められたことが記されています。 |
|
都道赤羽西台線 諏訪神社 |
|
都道赤羽西台線 諏訪神社 |
|
都道赤羽西台線 宮の坂
坂の名前にある「宮」は、この地域の旧村名である袋村の鎮守、諏訪神社のことを指しており、坂道はこの神社の参道を経て赤羽方面へ と抜けていきます。
神社の二の鳥居前にも切通しの坂がありますが、これは新しく出来た坂で、宮の前の坂 と呼ばれています。この坂も宮の坂と同様に交通量が多い坂です。 |
|
都道赤羽西台線 宮の坂 |
|
都道赤羽西台線 赤羽北二丁目交差点で環八を渡る |
|
都道赤羽西台線 赤羽北二丁目交差点で環八を渡る
交差点の先に東北新幹線、埼京線の高架が見える。 |
|
都道赤羽西台線 浮間橋交差点で東北新幹線、埼京線の高架下を進む |
|
都道赤羽西台線 新河岸川に架かる浮間橋 |
|
都道赤羽西台線 新河岸川に架かる浮間橋
桜並木で有名な新河岸川一帯は、下流で荒川に合流する。 |
|
JR 埼京線 北赤羽駅
北赤羽駅は浮間橋沿いに設けられている。 |
|
都道赤羽西台線 北区セレモニーホール |
|
都道赤羽西台線 洪水時避難案内
電柱の下部に洪水時の避難案内が表示されている。
「ここは荒川の氾濫により4m以上冠水するおそれがあります。(上の青いテープの高さ)」
青いテープは電柱に設けられた右手の看板の下の位置にあり、結構な高さである。 |
|
都道赤羽西台線 浮間公園 |
|
JR 埼京線 浮間舟渡駅 |