芝浦アンカレイジ〜主塔部〜吊橋中央
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東京の新名所 レインボーブリッジ散策(北ルート) | ||
東京の新名所 レインボーブリッジ散策(南ルート) | ||
汐留エリアをめぐり、レインボーブリッジを渡ってお台場で遊ぶ(H17-04-30) |
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レインボーブリッジ 芝浦アンカレイジ レインボーブリッジは旧料金所脇の階段を上り、2階の芝浦アンカレイジの案内所からエレベータで7階の歩道出入口に着く。この時北ルートか、南ルートかを選ばなければならない。 北ルートは芝浦や、晴海、勝どきなどの風景が楽しめる反面、台場に近付くと有明の野原だけである。南ルートは始めは芝浦倉庫街だけだが、台場に近付くと台場公園や、いわゆるお台場風景が眼下に広がる。 一長一短だが、お勧めコースは北ルートを歩き、お台場直前で横断連絡通路を使って南ルートに出ることである。 |
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レインボーブリッジ 芝浦アンカレイジ 右手はレインボーブリッジのループ部分で、南ルートを歩くとよく見える。 |
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レインボーブリッジ 芝浦アンカレイジ レインボーブリッジは2階建てで、上が首都高11号台場線、下の中央部分がゆりかもめ、その隣に一般道、両脇が歩道になっている。 芝浦アンカレイジは海抜46m、中央部が最高点で60m、それから台場まで緩やかな下り坂となって行く。 |
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レインボーブリッジ 芝浦アンカレイジ 左は隅田川河口で、中央は晴海、右は晴海運河である。 |
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レインボーブリッジ 芝浦アンカレイジ 中央の2棟のビルは勝どきのザ・トーキョー・タワーズ、横の緑地は晴海ふ頭公園である。 |
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レインボーブリッジ 芝浦アンカレイジ 芝浦アンカレイジ近くの芝浦ふ頭の倉庫街である。 |
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レインボーブリッジ 芝浦側主塔部 芝浦アンカレイジから高さで6m上がったことになる。大型ダンプが傍を走ると橋が揺れ、路面が固定されていないことを実感する。 ここの案内板には東京湾の歴史が書かれているように、それぞれのポイントにふさわしい説明が掲示されている。 |
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レインボーブリッジ 芝浦側主塔部 東京湾の歴史 東京湾の前身である江戸港は、江戸庶民の消費物資の流通拠点として重要な役割を果たしました。 徳川幕府末期、神奈川をはじめ国内5港が外国貿易港として開港されましたが、江戸は国防上の理由で開港することな<、近代頭易港としての発展の機会を失われました。 大正12年、関東大震災を契機に本格的なふ頭の建設が実施され、大正14年、東京港頭初の本船接岸施設日の出ふ頭が完成しました。以後、芝浦ふ頭、竹芝ふ頭が相次いで完成し、東京港はようやく近代港として歩みはじめ、昭和16年5月20日(1941年)には念願の外国貿易港として開港が実現しました。 昭和40年代に入ると世界的なコンテナ輸送革命が起こり、東京港はいち早くコンテナ化への対応に取り組みました。昭和42年(1967年)、日本で始めてのフルコンテナ船が品川ふ頭に入港し、東京港はこの時から外国定期航路を有する国際貿易港として大きく飛躍することになりました。 |
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レインボーブリッジ 芝浦側主塔部 | |
レインボーブリッジ 芝浦側主塔部 中央の2棟のビルは勝どきのザ・トーキョー・タワーズで、ひだりがわはで、右側は東雲運河である。 |
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レインボーブリッジ | |
レインボーブリッジ 台場と芝浦との分岐点である。初めてレインボーブリッジを渡った平成16年当時は北ルートは日本昔話のプレートが路面に飾られていたが、今(平成20年10月)は撤去されている。 |
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レインボーブリッジ 中央 海抜60mで、出発点の芝浦アンカレイジから高さで14m上り、距離で409mである。 |
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レインボーブリッジ 中央 東京タワーは、ラジオやテレビなどの放送用電波を受発信する高さ333mの総合電波塔です。昭和33年(1958年)の建設時には、フランスのエッフェル塔をしのぎ、世界−のタワーでした(現在は第3位)。地上から150mには大展望台、250mには特別展望台があり、このレインボーブリッジをはじめ、東京が一望できます。 |