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名刹 弘明寺

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京急本線沿いの道から左折 京急本線沿いの道から左折 

案内がないので分かりにくいが、右に京急弘明寺駅のホームがあり、その外れで左折する。直進すると弘明寺公園である。
左折して少し歩くと本堂前に出る。
弘明寺 本堂 弘明寺 本堂 
弘明寺観音(国指定重要文化財) 弘明寺観音(国指定重要文化財)
 


 弘明寺は、瑞応山蓮華院と号す真言宗の寺院で寺伝によると、「今を去る1200余年前、元正天皇の養老5年(721)、インドの善無畏三蔵法師が仏教弘通のため、日本渡来の節開創されたお寺で、それより17年後、聖武天皇の天平9年、諸国に悪病流行の際、行基菩薩が勅命により、天下泰平祈願のため全国巡錫の際、当山の霊域を感得し草庵をつくり観音様を彫刻し、安置せられた。」とあります。鎌倉時代には、源家累代の祈願所とされました。江戸時代、坂東観音三十三ヵ所の第14番札所として信仰を集め、年に2回の市が立ち、大変賑わいました。市内には観音道の道標が数基遺っています。
 本尊の木造十一面観音立像は、関東に遺る鉈彫りの典型的な作例として有名なものです。(鉈彫り像とは、丸のみの彫り痕を像表面に残した特殊な彫り□の作品をいいます、)像高181.7cm、ケヤキ材、丸彫り・一木造り、平安時代(11〜12世紀のころ)の作。造形はかなり荒々しく、かつ粗略なもので、一見未完成作のような印象を受けますが、全身にわたって丸のみの痕を規則的に横縞目に残しており、顔面は肉身や着衣に比べ、極め細かく入念に整えられています、彩色は僅かに本面の唇と化仏の唇に朱を点し、眉目・ロヒゲ・胸飾を墨て描いています。
 境内には、善無畏三蔵法師が陀羅尼を書写し、結界を立てた霊石と伝える「七つ石」、尾りよ石と刻してある「尾閭石」、大黒天の袋に似ているので名付けたという「福石」があります。
弘明寺 木造 黒漆花瓶 二□ 弘明寺 木造 黒漆花瓶 二□ 

 この花瓶は、「亜」という字の形をしている 欅材をるくろて挽いて成型した四つの部分を組み立てたものである。開口部はラッパのような形をしているが、その内に円形板をはめ込み、板の面に五つの孔をあける。そこに五色の造花を挿したのである。
 黒漆を全面に塗装しており、胴部に天正十八年(一五九〇)に修理した旨の朱漆銘がしるされているが、しかし、それより以前の制作年代であることは、その形式が鎌倉時代形式であることからわかる。
 この花瓶は、木造で大型の花瓶であるという他に類例をみない珍しさがあり、また大きいものであるから置く規模も大きい寺であったと推定される。したがって、花瓶が制作された当時の弘明寺の伽藍が大規模なものであったと想像される。
弘明寺 大師堂 閻魔像 弘明寺 大師堂 閻魔像 

大師堂の側面に色々な仏像などが展示されている。ガラスに撮影者が映るため、閻魔像以外を撮るのを断念した。
弘明寺 大師堂 弘明寺 大師堂 

「厄除大師」の額がかかる。
弘明寺 鐘楼堂 弘明寺 鐘楼堂 
弘明寺 聖天堂 弘明寺 聖天堂 

本堂の左の小山の上にあり、「大聖歓喜天」の額がかかる。
弘明寺 参道、仁王門 弘明寺 参道、仁王門 

参道の階段下に仁王門が見え、身代り地蔵の案内がある。
弘明寺 身代り地蔵菩薩 弘明寺 身代り地蔵菩薩 

 当山は、インドの僧 善無畏三蔵が我が国に訪れた際、この地に霊域を感得され七つの石を据えて結界し、開山されたと伝えられています。
 また、宗祖弘法大師も全国行脚の途中この地に不思議の力を感じて、歓喜天を彫んで山上の奥の院に安置し、一千座の護摩を焚いて庶民の幸福を祈願し「感応」の書を残されました。
 弘明寺身代地蔵は、この庶民信仰の地にふさわしく開帳され、人々の身体の疾病や心の悩みを救済する尊行を実践していらっしゃいます。
 どうぞ手を合わせ、御真言七遍をお唱えして、地蔵尊の御身体に手拭いをあて、ご自身のお身体にもあてて癒してください。
弘明寺 身代り地蔵菩薩 弘明寺 身代り地蔵菩薩 
弘明寺 仁王門 弘明寺 仁王門 



 
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