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京急 逗子線 金沢八景駅
逗子線は京急本線の金沢八景駅を始発とし、六浦駅、神武寺駅を経て、新逗子駅を終点とする。
駅数 4、営業距離 5.9km
【撮影記録】
平成23年 5月 21日 晴れ
10:10〜11:35 8,600歩(概算 6.5km 地図上の距離 6.5km)
逗子線 金沢八景駅〜六浦駅〜神武寺駅〜新逗子駅
営業距離 5.9km 駅数 3
時間が経つにつれ快晴に近い好天だが、やや蒸し暑く、新逗子駅では26.8℃、湿度62%だった。逗子線と並走する県道金沢逗子線(205号)をひたすら歩き、三浦半島の東岸から西岸へと抜けた。 |
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金沢八景駅前交差点で右折、横須賀街道(国道16号)へ |
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横須賀街道(国道16号) 六浦交差点で右折、環状4号線(県道23号)へ
六浦交差点は、環状4号線(県道23号)の起点である。 |
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横須賀街道(国道16号) 六浦交差点で右折、環状4号線(県道23号)へ |
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環状4号線(県道23号) 上行寺 |
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環状4号線(県道23号) 上行寺
六浦交差点で右折してすぐにある日蓮宗上行寺は、下総の豪族富木常忍が日蓮上人と鎌倉への船中で問答を行い、更にこの寺に止宿して問答を続け、ついに帰依したとの謂れがある。 |
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環状4号線(県道23号) 上行寺 |
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環状4号線(県道23号) 上行寺 上行寺縁起 |
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環状4号線(県道23号) 上行寺 上行寺縁起
一.船中問答着岸霊場の事
当山は六浦山上行寺と号す。往昔真言律宗にして金勝寺と称し、下総中山の領主で千葉介胤の有力な被官であった富木五郎胤継公の武運長久の祈願所であった。
建長六年(一二五四)十一月、富木公が鎌倉幕府へ参勤の砌り、下総二子の浦より渡航の折、鎌倉へお戻りの途次であった日蓮聖人と同船せられ偶々仏道の法論に及んだ。富木公は稀有なる篤学の士にして然も仏教の薀蓄深く、ここに仏法論をたたかわし、結果帰伏して師檀の約を結んだ。これ即ち船中問答の由来なり。
船は六浦の浜に着し、富木公は日蓮聖人を請じて当山に伴い参らせ住僧普識法印に船中問答の顛末を物語りて日蓮聖人に面奉せしむ。(往昔六浦は渡船場の津として栄え、千葉との往来盛んなりし所なり。山門入口に船繋ぎの巨松ありしが枯死して今はない。)
普識法印は仏法の真義は法華経にあり、と捨邪帰正の大義を悟り自坊をあげて法華経を弘通の道場とした。
普識法印歿後相続すべき弟子もなく無住荒廃し数十年の歳月が経過す。特に北条の武臣で荒尾の城主荒井平次郎光吉公、乱世を厭うて当地瀬戸の郷に隠棲しひたすら法華経の信仰に精進せられ、自家の領田をあげて金勝寺に寄せ、堂宇を再建するに及んだ。甘露名水を誇った金沢七井の一つ荒井の井戸は光吉公邸にある。
偶々下総中山の正中山法華経寺(富木公邸跡)第三世浄行院日祐上人が当地ご巡化の砌り、光吉公授戒を受け妙法坊と号し、戎師である日祐上人を開山上人と仰ぎ、信行益々堅く修行怠りなく連日近郷十数里に渉り、風雨寒暑の別なく行脚修行なせしという。
日蓮聖人ご化導にして最初の法華経弘通、釈尊脇士の上行菩薩の名を冠し、上行寺と改称す。 |
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環状4号線(県道23号) 上行寺船繋ぎの松跡
昭和22年枯死のため、身代り松を植樹した。 |
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環状4号線(県道23号) 上行寺 山門 |
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環状4号線(県道23号) 上行寺 日蓮大聖人 船中問答 御着岸霊場 略縁起
山門左に案内柱がある。
武州金沢の地たる六浦は往昔八景の景勝地たり。
大聖人房州鎌倉往来の途次六浦の浜に御着岸す。
此の辺は一帯海浜にして渡船場なり。
下総領主富木公と船中問答のことあリ当寺もと真言宗にして公の武運長久の祈願寺なり。
大聖人止宿教化改宗せし古刹なり。
本堂内奉安の大聖人御尊像は日法聖人御親刻にして、古来六浦のお祖師様とし緑者絶えず。
後代妙法院日荷上人仁王尊二体を一夜の中に背負いて
身延山久遠寺に奉献のことあり。
御手植の榧は七百年近くの樹齢を保ち巨大な枝葉におおわれて御廟所あり。
八月十六日お施餓鬼のあとゆかりの平潟湾て海上施餓鬼。
十月十六日御会式は万灯まとい構中夜店て昼夜共賑あう |
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環状4号線(県道23号) 上行寺 日蓮大聖人 船中問答 御着岸霊場 略縁起 |
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環状4号線(県道23号) 西六浦交差点で左折、県道金沢逗子線(205号)へ |
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環状4号線(県道23号) 西六浦交差点で左折、県道金沢逗子線(205号)へ
この交差点からJR逗子駅まで県道金沢逗子線(205号)を歩く。 |
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県道金沢逗子線(205号) 横浜市 六浦地区センター |
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県道金沢逗子線(205号) 金沢消防署 六浦出張所 |
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県道金沢逗子線(205号) 南西に歩く |
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京急 逗子線 六浦駅 |