|
大国魂神社 例大祭
大国魂神社は府中駅の裏手で、旧甲州街道沿いにある大きな神社である。
大国魂神社は武蔵国の総社で、人皇12代景行天皇の41年(111年)に創立と言われる。その例大祭はくらやみ祭と言われ、その夜は無礼講だったと言う。 |
|
大国魂神社 |
|
大国魂神社 |
|
大国魂神社 日露戦役記念碑
日露戦争の満州軍第四軍司令官 野津道貫元帥書。 |
|
大国魂神社 |
|
大国魂神社 例大祭の先触れ大太鼓
神主によるお祓いが行われていた。 |
|
大国魂神社 例大祭の先触れ大太鼓 |
|
大国魂神社 例大祭 |
|
府中高札場
旧甲州街道沿いにあり、甲州街道と鎌倉街道の交差する大国魂神社のお旅所の柵内にある。明治3年(1870年)に廃止された。 |
|
甲州街道の碑 |
|
旧甲州街道を西進 |
|
足利尊氏所縁の高安寺
平将門を打ち破った藤原秀郷の館跡、と伝えられる。足利尊氏が諸国に安国寺を作ったが、武蔵国の安国寺として古い寺を臨済宗の禅寺として再興した。その後、小田原北条氏の庇護を受けたが没落、慶長年間に曹洞宗禅寺として再興された。 |
|
足利尊氏所縁の高安寺 |
|
足利尊氏所縁の高安寺 |
|
足利尊氏所縁の高安寺 |
|
足利尊氏所縁の高安寺 |
|
足利尊氏所縁の高安寺
額の等持院は足利尊氏の院号で、二引両紋は足利氏の紋である。ちなみに、ライバルの新田氏は一引両紋である。 |
|
旧甲州街道を西進 |
|
分倍河原駅前の新田義貞像
元弘3年(1333年)に新田義貞と北条泰家が分倍河原で戦い、勝った新田勢が鎌倉に攻め込んで幕府を滅ぼした。 |
|
分倍河原駅前の新田義貞像 |
|
京王線 分倍河原駅 |