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府中競馬正門前駅〜府中〜大国魂神社

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府中競馬正門前駅の西側の小路を北上 府中競馬正門前駅の西側の小路を北上 
突き当りを左折、旧甲州街道へ 突き当りを左折、旧甲州街道へ 
旧甲州街道 八幡宮交差点で右折、小金井街道へ 旧甲州街道 八幡宮交差点で右折、小金井街道へ 
小金井街道 京王線ガード手前の交差点で左折 小金井街道 京王線ガード手前の交差点で左折 
府中駅前 伊勢丹前で右折 府中駅前 伊勢丹前で右折 
京王 京王線 府中駅 京王 京王線 府中駅 
府中駅前 けやき並木通り 府中駅前 けやき並木通り 

けやき並木は「天然記念物馬場大門欅並木」である。
府中駅前 けやき並木通り 府中駅前 けやき並木通り 
府中駅前 けやき並木通り 府中駅前 けやき並木通り 
府中駅前 けやき並木通り 伊勢丹・フォーリス 府中駅前 けやき並木通り 伊勢丹・フォーリス 
府中駅前 けやき並木通り 源義家公とけやき並木 府中駅前 けやき並木通り 源義家公とけやき並木 

 国の大然記念物「馬場大門けやき並木」は、九百四十有余年前、源頼義公・義家公父子が奥州平定の「前九年の役」の途次大国魂神社で戦勝を祈願し、同役平定後の康平五年(一〇六二年)勝利の報賽として、神社にけやきの苗木千本を寄進したことにはじまる。その後徳川家康公により、補植されて現在の婆になったが、この場所にあった周囲九メートルに及んだ大けやきは、頼義公・義家公父子が奉植されたものと伝えられ、ご神木として氏子から敬愛されていた大けやきであった。その大けやきも度々の暴風雨と近くは昭和二十四年のキティ台風によって、幹や大枝が折れ、その後、残った幹の空洞内の出火で枯死してしまった。義家公は、清和源氏に発する河内源氏の嫡流として、七歳の時、石清水八幡宮で元服、よって八幡太郎と号したが、前九年の役・後三年の役で卓抜した武勇をあらわした公の代に、源氏の武威の最盛期を迎えた。このような大国、武蔵の国の国府であった府中、大国魂神社、けやき並木を源義家公の史実を後世に伝えるため、当時の若さあふれる公の像をこの地に建立するものである。
府中駅前 けやき並木通り 源義家公とけやき並木 府中駅前 けやき並木通り 源義家公とけやき並木 
府中駅前 けやき並木通り 大国魂神社と馬場大門欅並木 府中駅前 けやき並木通り 大国魂神社と馬場大門欅並木 
旧甲州街道 大国魂神社前交差点 旧甲州街道 大国魂神社前交差点 

けやき並木通りはこの交差点までである。
大国魂神社 大国魂神社 

武蔵国総社で、ホームページによると由緒は以下の通りである。

当社の起源は、人皇第十二代景行天皇四十一(111)年五月五日大神の託宣に依って 創立されたものである。出雲臣天穂日命[のおみあめのほひのみこと]の後裔が初めて 武蔵国造[くにのみやつこ]に任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕して その祭務を掌られたといわれ、その後、孝徳天皇(645-654)の御代に至り、 大化の改新(645年)のとき、武蔵の国府をこの処に置くようになり、 当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して、国内の祭務を総轄する所にあてられた。
大国魂神社 府中市観光案内図 大国魂神社 府中市観光案内図 

右上の緑のブロックは多摩霊園、中央下は東京競馬場、その左少し上に大国魂神社がある。
大国魂神社 大鳥居 大国魂神社 大鳥居 
大国魂神社 大国魂神社 
大国魂神社 日露戦役記念碑 大国魂神社 日露戦役記念碑 

揮毫は日露戦争の満州軍第四軍司令官 野津道貫元帥、侯爵である。
大国魂神社 随神門 大国魂神社 随神門 

随神門手前で右折すると府中街道に出て、少し南下すると南武線府中本町駅に着く。換言すれば、それだけ長い参道と言うことである。
大国魂神社 中雀門 大国魂神社 中雀門 
大国魂神社 拝殿 大国魂神社 拝殿 
大国魂神社 中雀門 大国魂神社 中雀門 
大国魂神社前交差点で左折、旧甲州街道へ 大国魂神社前交差点で左折、旧甲州街道へ 



 
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