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高幡不動 表参道
高幡不動駅の左手にあり、商店街を抜けると川崎街道の高幡不動前交差点があり、その前に仁王門がある。 |
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高幡不動 仁王門
川崎街道の高幡不動前交差点前に仁王門がある。左の朱色の門は総門である。
高幡不動は関東三大不動の一つであり、高幡山金剛寺、成田山新勝寺は異論が無いが、残る一つは王寿山總願寺とも、雨降山大山寺などとも言われている。 |
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高幡不動 仁王門
金剛寺仁王門
仁王門は室町時代に当初、楼門として計画されたが、途中何らかの理由で計画変更され、上層の主要部を覆うような形で屋根がかけられ、近年まで外観は単層であった。昭和34年、解体復原修理の際、楼門として復原され、銅板葺となった。
仁王尊は室町時代のものと推定されている。楼上の扁額「高幡山」は江戸時代初期の運敞僧正(号泊如)の筆である。 |
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高幡不動 仁王門 |
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高幡不動 境内案内図
仁王門、不動堂、奥殿は一列に配置され、総門の奥に山門、大日堂が配されている。 |
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高幡不動 不動堂
不動堂はもと山上にあったが、建武2年(1335)の大風で倒壊し、時の住僧儀海上人の発願によって、康永元年(1342)現在地に移建された。昭和31年の解体復原修理の際、江戸時代の彫刻群等、後世のものは全部取り除かれ、創建時の豪壮・簡素な堂に復原され銅板葺となった。
尚 堂内安置の丈六不動明王像ならびに両童子像(平安時代)・不動明王像内文書69枚(南北朝時代)及び鰐口(鎌倉時代・文永10年銘)はすべて重要文化財に指定されている。 |
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高幡不動 不動堂 |
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高幡不動 五重塔 |
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高幡不動 奥殿(高幡不動尊金剛寺の歴史)
真言宗智山派別格本山高幡山明王院金剛寺は古来日本一と伝えられる木彫の丈六不動三尊像をご安置する寺で、高幡不動尊と呼ばれて親しまれている。
古文書等に大宝以前の草創、行基菩薩の開基と記されているが、平安時代初期に慈覚大師(円仁)が清和天皇の勅願によって当地を斗煥東関鎮護の霊場と定め、山中に御堂を創建したことが知られている。(重文・文永の鰐口銘文)
後、建武二年(一三三五年)の大風によって山中の堂宇が倒壊し、時の住僧儀海上人が七年の歳月をがけて康永元年(一二四二年)麓に移建したのが現在の不動堂で東京都最古の文化財建造物である。
不動堂はその後建て直された仁王門と共に中世の密教建築の代表的遺構として旧国宝(現重要文化財)に指定されている。
鎌倉時代以後の高幡不動尊は十院不動堂と呼ばれた談議所(学問所)で真言宗武蔵方(虚空蔵院儀海方)の中心寺院であった。 |
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高幡不動 奥殿(高幡不動尊金剛寺の歴史) |
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高幡不動 山門 |
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高幡不動 大日堂(鳴き竜) |
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高幡不動 境内散策案内図 |
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高幡不動 五重塔 |
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高幡不動 山あじさい園 |
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高幡不動 山あじさい園
6月1日から7月5日まであじさい祭りがおこなわるが、撮影日(6月2日)ではさすがに早すぎた。 |
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高幡不動 山あじさい園 |
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高幡不動 五重塔 |
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高幡不動 五重塔 |
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高幡不動 土方歳三銅像
新撰組副長土方歳三は、近藤勇が慶應4年(1868年)に刑死した後も、東北や函館で転戦、明治2年(1869年)に函館で戦死した。菩提寺は高幡不動尊である。この銅像の右に近藤勇・土方歳三顕彰碑がある。 |
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高幡不動 総門
総門と言うには貧弱で、重々しさに欠ける。前の道路は川崎街道である。 |