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藤沢 白旗神社 一心泣き相撲H240513

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(藤沢駅〜皇大神宮〜白旗神社〜遊行寺)


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藤沢 白旗神社 石鳥居 藤沢 白旗神社 石鳥居 

白旗神社は、藤沢街道(国道467号)の白旗神社交差点の左にあり、赤ちゃんの鳴き声が周囲に響き渡る。その理由は入ってすぐ分かった。
藤沢 白旗神社 藤沢 白旗神社 
藤沢 白旗神社 藤沢 白旗神社 

古くは相模一の宮の寒川比古命の御分霊を祀って、寒川神社とよばれていた。しかし、創立年代はくわしくはわからない。
鎌倉幕府によって記録された『吾妻鏡』によると、源義経は兄頼朝の勘気をうけ、文治五年(一一八九)閏四月三十日奥州(岩手県)平泉の衣川館において自害された。
その首は奥州より新田冠者高平を使いとして鎌倉に送られた。高平は、腰越の宿に着きヽそこで和田義盛・梶原景時によって首実検が行われたという。伝承では、弁慶の首も同時におくられ、首実検がなされ、夜の間に二つの首は、此の神社に飛んできたという。このことを鎌倉(頼朝)に伝えると、白旗明神として此の神社に祀るようにとのことで、義経公を御祭神とし、のちに白旗神社とよばれるようになった。弁慶の首は八王子社として祀られた。
藤沢 白旗神社 一心泣き相撲 藤沢 白旗神社 一心泣き相撲 

よくテレビで放映される赤ちゃんの鳴き声が大きいほうが勝ち、という神事が行われていた。
赤ちゃんは髷の形をし、もっともらしい四股名が付いた帽子をかぶって対決する。
藤沢 白旗神社 一心泣き相撲 藤沢 白旗神社 一心泣き相撲 

右の赤ちゃんは待っている間も対決してすぐの時もきょとんとしていたが、左の方は泣き暴れて対決が出来ず、選手交代となった。しかし、新しい子も泣き暴れている。
藤沢 白旗神社 一心泣き相撲 藤沢 白旗神社 一心泣き相撲 

対決が始まり、左の子の泣く有様に影響を受けたか、平然としていた右の子も泣き暴れだす。
藤沢 白旗神社 一心泣き相撲 藤沢 白旗神社 一心泣き相撲 

行事や介添人がもっと泣くようにはやし立てた後、引き分けとなって勝負は終わる。
藤沢 白旗神社 一心泣き相撲 藤沢 白旗神社 一心泣き相撲 

土俵脇の待機場所では一族総出で記念写真を撮っている。
藤沢 白旗神社 一心泣き相撲 藤沢 白旗神社 一心泣き相撲 
藤沢 白旗神社 本殿 藤沢 白旗神社 本殿 
藤沢 白旗神社 源義経公鎮霊碑 藤沢 白旗神社 源義経公鎮霊碑 
藤沢 白旗神社 源義経公鎮霊碑 藤沢 白旗神社 源義経公鎮霊碑 

文治五年(1189年)閏四月三十日、奥州衣川の高館で、藤原泰衡に襲撃された義経公は自害し悲壮な最期を遂げた。その御骸は宮城県栗原郡栗駒町の御葬札所に葬られ、また一方の御首は奥州路を経て、同年六月十三日、腰越の浦の首実検後に捨てられたが、潮に逆流し白旗神社の近くに流れつき、藤沢の里人により洗い清められて葬られたと語り伝えられる。
本年、源義経公没後八百十年を記念し、両地有志の方々により「御骸」と「御首」の霊を合わせ祀る鎮霊祭を斎行し、茲に源義経公鎮霊碑を建立する。
藤沢 白旗神社 本殿 藤沢 白旗神社 本殿 
藤沢 白旗神社 本殿前から見える一心泣き相撲 藤沢 白旗神社 本殿前から見える一心泣き相撲 
藤沢 白旗神社 石鳥居 藤沢 白旗神社 石鳥居 



 
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