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江島神社 朱塗りの大鳥居
辺津宮・中津宮・奥津宮の三宮を総称して江島神社と称す
●辺津宮(下之宮)御祭神……田寸津比売命 土御門天皇建永元年(一二〇六年)源実朝が創建。弁天堂には日本三文弁財天の妙音・八臂弁財天御尊像を始め、十五童子像・御宇多天皇の勅額・弘法大師の護摩修法による弁財天像他が奉安されている。宋国伝来の古碑・福石・白龍銭洗池・御神木の結びの樹等があり、八坂神社・秋葉稲荷社が境内社として鎮座する。
●中津宮(上之宮)御祭神……市寸島比売命 文徳天皇仁寿三年(八五三年)慈覚大師が創建。 現在の社殿は元禄二年(一六八九年)の御造営で平成八年の御改修により格天井には花鳥画が施され彫刻等が復元された。境内には歌舞伎界より奉納された石灯籠等がある ●奥津宮(御旅所・本宮)御祭神……多紀理比売命
天保十三年(一八四二年)再建。源頼朝奉納石鳥居・酒井抱一画の八方睨みの亀・八十貫の力石・鎌倉四名石の一つ亀甲石・御神木・山田流筝曲開祖山田検校像等がある。 |
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江島神社 瑞心門 |
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江島神社 瑞心門
御祭神は、三人姉妹の女神様
社伝によると、欽明天皇十三年(五五二年)に、「欽明天皇の御宇、神宣により詔して宮を島南の竜穴に建てられ一歳二度の祭祀この時に始まる」とあります。これは、欽明天皇の勅命で、島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが、江島神社の始まりであることが記されてます。欽明天皇は、聖徳太子よりも少し前の時代の天皇で、この頃、日本では仏教が公伝され、日本固有の神道と外来の仏教が共に大事にされていました。 |
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江島神社 瑞心門 弁財天 童子像
縁起に曰く、「欽明天皇十三年卯月十二日戌刻よリニ十三日辰刻に至るまで、江野南海湖水湊口に雲霞暗く蔽いて転地震動すること十日に余れり。諸々の天象龍神水火雷電山神鬼類夜叉羅刹、雲上より磐石をくだし海底より塊砂をふき出す。その後竭雲収まり軽霞まきしりぞいて海上に忽ちに一つの嶋を成せり。即ち江野になぞらえて。これを江野嶋という。 天女雲上に顕れ、白龍、十五童子を従え、この嶋上に降居したまえり」とあり、弁財天が江ノ島に祀られることとなりしを伺い知ることが出来る。 |
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江島神社 瑞心門 弁財天 童子像 |
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江島神社 辺津宮(下之宮) |
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江島神社 辺津宮(下之宮) 奉安殿
拝観料が必要なためか、訪れる人は皆無であるが、有名な重要文化財の八臂弁財天と、裸女弁財天として知られる妙音弁財天が祀られる。 |
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江島神社 辺津宮(下之宮)から中津宮(上之宮)へ |
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江島神社 中津宮広場
エスカーとは、中津宮広場から中津宮を経て、奥津宮に向かう2段階の上り専用エスカレーターである。料金は180円、奥津宮行きだけなら100円で、利用者は年配者だけであるが多い。 |
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江島神社 中津宮広場 界隈案内図 |
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江島神社 展望デッキから見えるヨットハーバー |
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江島神社 御岩屋道を上る |
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江島神社 中津宮(上之宮)
ここから奥津宮、展望灯台に行くことができるが、藤沢駅からの歩きの疲れもあり、引き返すことにした。 |
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江島神社 中津宮(上之宮)
市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしています。創建は文徳天皇仁壽三年(八五三年)。その後、元禄二年(一六ん九年)に改築され、朱色が鮮明な現在の御社殿は、平成八年の全面的な改修により、元禄二年改築当時の中津宮(権現造り)を再現したものです。幣殿・拝殿の天井には花鳥画や、彫刻が施され、境内に奉納された石燈籠寺は、江戸時代における商人・芸人・庶民の信仰の深さを物語っています。 |
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江島神社 辺津宮(下之宮)入口
御岩屋道を下り、辺津宮入口前を通り、階段を下る。 |
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江島神社 階段を下る |
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江島神社 朱塗りの大鳥居
階段を下りてくると朱塗りの大鳥居前に出る。 |
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江の島弁天橋を戻る |
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江の島弁天橋から見える江ノ島 |
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国道134号の地下横断歩道 |
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片瀬江ノ島駅前 境川に架かる弁天橋 |
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小田急 江ノ島線 片瀬江ノ島駅
片瀬江ノ島始発のロマンスカー利用も考えたが、平日なので1時間前の11時13分発の後は、17時27分とのことで断念した。 |