小田原線 
新松田〜栢山〜富水
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松田入口交差点で右折、県道78号線へ 松田入口交差点で右折、県道78号線へ 

新松田駅前を通って県道711号線を歩いてきた。
足柄大橋 酒匂堰取入口跡 足柄大橋 酒匂堰取入口跡 

この取入口は慶安4年(1651年)に造られ、酒匂川左岸(大井町)から小田原市にかけて23か村(小田原藩のうち2万石分)の水田をうるおす用水として、昭和12年(1937年)に取入口が上流に移されるまで285年余り使われていました。
足柄大橋 足柄大橋 

この足柄大橋は、県道大井開成関本線の大井町と開成町を結ぶ架け橋として昭和55年から昭和63年にかけて建設されたものです。

足柄なので、橋柱には熊にまたがった金太郎の像がある。
足柄大橋から見た酒匂川 足柄大橋から見た酒匂川 
吉田島交差点で左折、県道720号線へ 吉田島交差点で左折、県道720号線へ 

足柄大橋を渡ってすぐにある交差点で左折する。
小田急 小田原線 開成駅 小田急 小田原線 開成駅 
小田原市に入る 小田原市に入る 

5月の連休から歩き始め、5ヶ月経ってやっと来た、と言う感じである。
県道720号線を南下 県道720号線を南下 
小田急 小田原線 栢山駅 小田急 小田原線 栢山駅 
栢山駅前 二宮尊徳遺跡案内図 栢山駅前 二宮尊徳遺跡案内図 

二宮尊徳が小田原藩の農業再建に功があったのは有名だが、生家などがこの一帯にあるとは知らなかった。しかも案内図では歩くコース沿いに墓所(善栄寺)と、生家があるのが分り、当初栢山駅で終える予定だったが、次の富水駅まで歩くことにした。
善栄寺(二宮尊徳墓所) 善栄寺(二宮尊徳墓所) 

歩くコースからは善栄寺(二宮尊徳墓所)の墓地から入ることになる。一旦正門に行き、そこから歩き出す。

寺伝によれぱ、今から七百八十年余前の健保三年(一二一五)巴御前が木曾義仲と和田義盛一族の菩提のために律宗の僧、善法真栄上人を勧請して創建されたものと伝える。
善栄寺(二宮尊徳墓所) 善栄寺(二宮尊徳墓所) 
善栄寺 北条氏康夫人の墓碑 善栄寺 北条氏康夫人の墓碑 
善栄寺 北条氏康夫人の墓碑 善栄寺 北条氏康夫人の墓碑 

この墓はごらんのとおリ簡素な宝筺印塔ですが、塔身の周囲には「瑞渓院殿光室宗大姉 元亀二未年一一月二十一日卒小田原北條家三代氏康公之簾中」の文字があります。

この文字は後ろの壁側にあり、そう言われて見れば、と言うほど摩滅している。北条氏康は第3代で、子の氏政の時に滅んだ。今川義元は、瑞渓院の実弟である。
善栄寺 二宮尊徳の墓 善栄寺 二宮尊徳の墓 

二宮尊徳先生は、天明七年({七八七)七月二十三日栢山の中流農家に生まれたが、幼少の頃、酒匂川の洪水で家は貪困に陥リ、十四才で父を、十六才で母を失った。
以後、刻苦勉励して家を再興、また救群の才幹と卓越した人格によって、各地方の財政復興と社会救済に偉大な業績を遺し、すぐれた報徳の教えをたてて後世に伝えたのである。そして、安政三年(一八五六)十月二十日、日光神領復興仕法中に栃木県今市の報徳役所で、その偉大な七十年の生涯を閉じ、同地の星顕山如来寺に葬られた。
善栄寺 二宮尊徳の墓 善栄寺 二宮尊徳の墓 

墓地の中でひときわ目立つ高い木柱があり、そこが二宮本家の墓である。
善栄寺 二宮尊徳の墓 善栄寺 二宮尊徳の墓 

文字が摩滅して読みにくいが、中央の低い墓が二宮尊徳の墓である。
尊徳記念館 尊徳記念館 
尊徳記念館 尊徳記念館 
尊徳記念館 二宮尊徳の生家 尊徳記念館 二宮尊徳の生家 
尊徳記念館 回村の像 尊徳記念館 回村の像 

生家の手前右側にある。
小田急 小田原線 富水駅 小田急 小田原線 富水駅 

残り3駅(蛍田、足柄、小田原)、営業キロで4.7kmである。


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