万歩計 トップ 首都圏の鉄道 目次 小田急 小田原線H2403 目次 新松田〜二宮尊徳の遺構〜小田原 目次  新松田駅〜二宮尊徳の遺構〜富水駅 目次  渋沢駅〜国道246号〜新松田駅 栢山駅〜二宮尊徳の遺構〜富水駅  ページ ラスト 


万歩計



(Since H14-10-28)

目次









掲示板(一言どうぞ)


新松田駅〜開成駅〜栢山駅

【関連サイト】   小田急 小田原線H1805


 直前のページに戻ります。

写真の一覧表へ 

小田急 小田原線 新松田駅 小田急 小田原線 新松田駅 

【撮影記録】
平成24年 4月 24日 曇り 後 晴れ
9:50〜13:15 19,600歩(概算 14.7km 地図上 14.1km)
小田原線 新松田〜小田原
営業距離 10.7km 駅数 7

朝のテレビで今日はきれいに晴れて暑い、と言っていたので出かけた。しかし、小田原駅手前の狩川橋で晴れ間が見えてきたが、それまで雨が降るのでは、と思う天気だった。
前回は富水駅からだったので、今回の半分以下だったが、さすがに14kmを超す距離は長かった。
小田急 新松田駅前 バスターミナル 小田急 新松田駅前 バスターミナル 

バスターミナルの奥にJR御殿場線の松田駅が見える。
JR 御殿場線 松田駅 JR 御殿場線 松田駅 

松田駅はJR東海の管轄なのには驚いた。東海道線の国府津駅が始発なのでJR東日本だと思っていた。
県道小田原松田線(711号)を南下 川音川に架かる文久橋 県道小田原松田線(711号)を南下 川音川に架かる文久橋 

左手にJR御殿場線の鉄橋があり、3両編成の電車が渡っていた。
県道小田原松田線(711号) 文久橋から見たガスがかかる山並み 県道小田原松田線(711号) 文久橋から見たガスがかかる山並み 

新松田駅方向であるが、朝のテレビでの天気予報が大外れだったことを痛感した。
県道小田原松田線(711号)を南下 大井町に入る 県道小田原松田線(711号)を南下 大井町に入る 
県道小田原松田線(711号) 松田入口交差点で右折、県道御殿場大井線(78号)へ 県道小田原松田線(711号) 松田入口交差点で右折、県道御殿場大井線(78号)へ 

県道御殿場大井線(78号)は旧東海道で、足柄街道や矢倉沢往還とも呼ばれる。
県道御殿場大井線(78号) 足柄大橋東交差点 県道御殿場大井線(78号) 足柄大橋東交差点 
県道御殿場大井線(78号) 酒匂川に架かる足柄大橋 酒匂堰取入口跡 県道御殿場大井線(78号) 酒匂川に架かる足柄大橋 酒匂堰取入口跡 

 この足柄大橋は、県道大井開成関本線の大井町と開成町を結ぶ架け橋として昭和55年から昭和63年にかけて建設されたものです。
 酒匂川左岸(大井町側)堤防に橋脚工事を行った時に、この歩道橋の下を流れる酒匂堰の取入口があることがわかり発掘調査が行われました。
 この取入口は慶安4年(1651年)に造られ、酒匂川左岸(大井町)から小田原市にかけて23か村(小田原藩のうち2万石分)の水田をうるおす用水として、昭和12年(1937年)に取入口が上流に移されるまで285年余り使われていました。造りは石を組合せたものでその一部を大井町中央公民館に復元してあります。
 この発掘調査により酒匂堰取入口の概要がわかりましたので、この史跡を後世に伝えるため、記念碑を建てたものです。
県道御殿場大井線(78号) 酒匂川に架かる足柄大橋 県道御殿場大井線(78号) 酒匂川に架かる足柄大橋 

足柄なので、橋柱には熊にまたがった金太郎の像がある。
県道御殿場大井線(78号) 酒匂川に架かる足柄大橋 県道御殿場大井線(78号) 酒匂川に架かる足柄大橋 
県道御殿場大井線(78号)を西進、 開成町に入る 県道御殿場大井線(78号)を西進、 開成町に入る 
県道御殿場大井線(78号) 吉田島交差点で左折、県道怒田開成小田原線(720号)へ 県道御殿場大井線(78号) 吉田島交差点で左折、県道怒田開成小田原線(720号)へ 
県道御殿場大井線(78号) 吉田島交差点で左折、県道怒田開成小田原線(720号)へ 県道御殿場大井線(78号) 吉田島交差点で左折、県道怒田開成小田原線(720号)へ 
県道怒田開成小田原線(720号) 開成駅前交差点で左折 県道怒田開成小田原線(720号) 開成駅前交差点で左折 
小田急 小田原線 開成駅 小田急 小田原線 開成駅 
県道怒田開成小田原線(720号)を南下、小田原市に入る 県道怒田開成小田原線(720号)を南下、小田原市に入る 
県道怒田開成小田原線(720号) 曽比稲荷神社 県道怒田開成小田原線(720号) 曽比稲荷神社 
県道怒田開成小田原線(720号) 曽比稲荷神社 県道怒田開成小田原線(720号) 曽比稲荷神社 

縁起

 稲荷神社は全国的に多く、神社の四十五パーセントを占めると言われています。稲荷とは、「稲生」「稲成」等の古字が用いられ、往時から稲の豊作を司る神として崇められています。御神体は、稲束を背負った農民像が多く、農耕文化を中心に栄えたわが国の歴史をうかがわせます。その後、商売繁盛、家運繁栄等の神として、全国民に親しまれています。
 曽比稲荷神社は、惣社稲荷略記(大井町真福寺蔵)によると、八幡太郎源義家が、曽比村に草創した真福寺が変じたもののようです。(新編相模風土記真福寺記)
 今から約九百年前の康和年間、鎮守府将軍源義家公が、東征の途中、当時の寺主覚超僧都と軍中無事の祈祷をし、日夜仰願したところ、白狐が現われて軍陣の魁をひらき、到る所で戦功をあげました。義家公は、その威徳に感謝し祭祠と田園を与えられました。その後、村の鎮守の神としても霊妙や神徳が発現され、その威力が四方に聞えるようになりました。公は、菅家に神の賞位を奏上し、『惣社正一位稲荷大明神」の称を賜わりました。
 文政十年(一八二七年)、上郡西大井村真福寺の寺主、金剛乗沙門傳持阿遮梨耶実辨が、後代の照鑑として、以上のことを記録しています。
 今でも、この神社に参拝する人は多く、中には、祈願により不治の病が癒えたと、神威に感謝されている人もいます。
県道怒田開成小田原線(720号) 曽比稲荷神社 県道怒田開成小田原線(720号) 曽比稲荷神社 

この辺りには左に堅牢地神、右に読めないが何かの碑が対になって立てられている。堅牢地神とは仏教の神で、大地を司る。
県道怒田開成小田原線(720号)を南下 県道怒田開成小田原線(720号)を南下 
県道怒田開成小田原線(720号) 左に曲がり、小田原線の踏切を渡る 県道怒田開成小田原線(720号) 左に曲がり、小田原線の踏切を渡る 
小田急 小田原線 栢山駅 小田急 小田原線 栢山駅 

踏切手前で左折すると西口で、海抜27.6mの表示がある。
小田急 小田原線 栢山駅 小田急 小田原線 栢山駅 



 
万歩計 トップ 首都圏の鉄道 目次 小田急 小田原線H2403 目次 新松田〜二宮尊徳の遺構〜小田原 目次  新松田駅〜二宮尊徳の遺構〜富水駅 目次  渋沢駅〜国道246号〜新松田駅 栢山駅〜二宮尊徳の遺構〜富水駅  ページ トップ