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大田区立 こども発達センター わかばの家前を西進
千鳥町駅から住宅街を西進する。 |
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区民プラザ入口交差点で右折、環八通りへ出て北上 |
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区民プラザ入口交差点で右折、環八通りへ出て北上
区民プラザ入口交差点で環八通りを渡り、少し進むと東急多摩川線の下丸子駅である。 |
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環八通りを北上 光明寺
環八通りの左手に長く高い白壁が続くので5年前の前回に立ち寄ったが、由緒案内もない。光明寺は大きな寺ではあるが、普通の寺であり、今回は寄らなかった。 |
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環八通りを北上 鵜の木八幡下交差点 |
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環八通りを北上 白山神社前交差点で右折 |
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池上線 久が原駅 |
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環八通り 白山神社 |
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環八通り 白山神社
社殿の右に何かを建築中である。前回立ち寄った時に由緒書のようなものもなかったので、素通りした。 |
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環八通りを北上 横須賀線/新幹線の跨線橋 永富橋 |
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環八通りを北上 横須賀線/新幹線の跨線橋 永富橋
左(北側)を新幹線が、右を横須賀線が走る。 |
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環八通りを北上 横須賀線/新幹線の跨線橋 永富橋 |
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環八通りを北上 御嶽神社入口交差点で右折 |
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突き当りのイオン前で右折して、すぐ左折
突き当り左に御嶽神社があり、右手にスーパーのイオンがあって、その先の角を曲がると御嶽山駅がある。 |
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御嶽神社 |
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御嶽神社 社殿
由緒案内が無いが、ホームページでは以下のように書かれている。
天文四年(1535年)頃から御嶽神社として創祀されたと伝えられています。文政年間(1818〜30)には、木曽御嶽山の修験者一山(いっさん)行者によって、この神社が木曽御嶽大神の示現の社であることが明らかにされました。一山は寝食を忘れ神徳の宣揚に勤めたために、村民をはじめ関東一円に崇敬者が激増し、天保二年(1831)に現在の社殿を建立しました。
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御嶽神社 一山神社
社殿の左奥にある。 |
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御嶽神社 一山神社
一山霊神事績
この一山神社の御祭神は一山(イッサン)霊神。俗名は治兵衛。神奈川県津久井村の出身で、埼玉県与野に移り井原家に婿入りしたが、『下化衆生』の本願を叶えようと井原家を離れて同地の円乗院で僧となる。仏門修行の後諸国を行脚し三峰の修験道の道場を訪れ、また覚円峯に行き仙峨の滝で心身を清め、木曽駒ヶ岳を経て木曽の御嶽に入った。一山行者は大滝口より清滝に至り、柴の庵を結び不動滝で寒三十日の水行などをした。ある夜ふと夢を見た。御嶽三社の大神達が現れて『早々下山し世間大衆の苦悩を救え、幸い汝に因縁の地あり、都を去る三里。』と述べた。一山行者は山を降り江戸へ向かう。そして御嶽の神々の教えを広めながら近郷近在を歩いているうちに、武州荏原郡嶺村に来て、御嶽の小社を発見『これぞ木曽御嶽の大神に示現したところ…』とこの地に庵を結ぶ。付近の人は一山行者を『偉い行者』と崇め信者も増え、進徳講話、参詣聴聞などを行い確固たる地盤を築くに至った。天保二年(一八三一)社殿を新築し、布教怠を続けたが、嘉永四年(一八五一)十二月二十日、神田見富家の隠宅で没す。
行年は定かでない。
≪一山御歌≫
無の上に 浮きて楽しむ心こそ 誠の道の宝なりけり |
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池上線 御嶽山駅 |
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環八通り 田園調布警察署前交差点で右折、中原街道へ
この歩道橋の先から中原街道を跨ぐ田園調布陸橋となる。 |
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環八通り 田園調布警察署前交差点で右折、中原街道へ |
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池上線 雪が谷大塚駅 |
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中原街道 雪が谷大塚駅の先から長い坂を下る |
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中原街道 石川台交差点 呑川に架かる石川橋
長い坂を下った所が石川台交差点である。 |
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中原街道 NTT雪が谷ビル前交差点で右折
石川台交差点から坂を上り始め、中腹の無名の交差点で右折する。 |
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池上線 石川台駅
東急の大井町線や多摩川園同様、都会を走る電車ではあるが、池上線も田舎の駅風の駅舎である。他の駅と同じく行先別に線路を挟んで駅舎が別であり、注意が必要である。 |