大山街道(溝の口〜高津〜二子橋)

【関連サイト】 東急 田園都市線(平成15年)
旧街道散策 大山街道


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南武沿線道路 栄橋交差点で右折、大山街道へ 南武沿線道路 栄橋交差点で右折、大山街道へ 
南武沿線道路 栄橋交差点 大山街道案内板 南武沿線道路 栄橋交差点 大山街道案内板 

◆大山街道とは◆

 江戸赤坂御門を起点として、雨乞いで有名な大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)までの道。東海道と甲州街道の間を江戸へ向かう脇往還として、「厚木街道」「矢倉沢往還」等とも呼ばれ、寛文九年(一六六九)、溝口村・二子村が宿として定められた。
 江戸時代中期には庶民のブームとなった「大山詣」の道として盛んに利用されるようになり、この頃から「大山道」「大山街道」として有名になった。
 江戸後期には.駿河の茶、真綿、伊豆の椎茸、乾魚、秦野地方のたばこ等の物資を江戸に運ぶ輸送路として利用され、これらを商う商人たちで大変栄えた
大山街道 川崎第一ホテル前 庚申塔と大山道標 大山街道 川崎第一ホテル前 庚申塔と大山道標 

栄橋交差点の南側で、南武線の踏切を渡った所にある。3日前の青葉台〜溝の口を歩いた時に撮った写真だが、大山街道の全体を押えるために再掲する。
大山街道 川崎第一ホテル前 庚申塔と大山道標 大山街道川崎第一ホテル前 庚申塔と大山道標 

「見ざる・聞かざる・言わざる」で知られた庚申信仰は、平安時代に始まる。特に盛んになった江戸期、この地に作られた庚申塔は、大山街道をゆく旅人の道標をかねていた。
大山街道 宗隆寺 大山街道 宗隆寺 
大山街道 宗隆寺 大山街道 宗隆寺 

宗隆寺と御会式

日蓮宗のこの寺では、御会式が古くから行われ、その賑わいは、池上本門寺に次ぐという。今も十二月二一日の夜、近くの寺や講中から担ぎ出された万燈が、灯りの列を作って集まってくる。
大山街道 宗隆寺 大山街道 宗隆寺 
大山街道 溝口駅入口交差点を渡る 大山街道 溝口駅入口交差点を渡る 
大山街道 大山街道活性化活動 大山街道 大山街道活性化活動 

◆納太刀の習慣◆

大山詣は、江戸を中心 とした関東一円の他、遠江、駿河、伊豆、甲斐、信濃、越後.岩代.磐城などにも及んでいたと推測されている。参詣の際には納太刀(おさめだち)をする習慣があり、自分の背丈よりも長い木太刀を担いでいる参詣者の姿が多くの浮世絵などに描かれている。
大山街道 ニヶ領用水と大石橋 大山街道 ニヶ領用水と大石橋 

小泉次太夫により稲毛、川崎のニヶ領を潤す用水が、十四年にも及ぶ大事業で完成した。
大山街道 糀屋・岩崎酒店 大山街道 糀屋・岩崎酒店 

口上
糀屋・岩崎酒店の創業者 岩崎次郎吉は旧名主丸屋の井戸水と付近でとれる良質な稲毛米に目をつけ明治中期ドブロク造りを始め清酒造りに発展した。
店前の壷はその時の名残である。戦時中の統制を受け醸造は中止し酒小売店として又平成五年には一階酒店・二階ギャラリー糀(展示)・五階糀ホール(音楽ホール)として文化的に楽しみのあるビルに生まれかわる。
大山街道 糀屋・岩崎酒店 大山街道 糀屋・岩崎酒店 
東急 田園都市線 高津駅 東急 田園都市線 高津駅 
大山街道 溝口緑地 大山街道 溝口緑地 
大山街道 溝口緑地 国木田独歩碑 大山街道 溝口緑地 国木田独歩碑 

明治30年(1897)みぞれまじりの春に、国木田独歩が溝口を訪れたとき、当時旅館であった溝口の亀屋に一泊しました。このことは独歩の作品「忘れ得ぬ人々」のモデルとなり、この作品によって明治文壇に不動の地位を築きました。
独歩と亀屋の関係を後世に記念するため、当時の亀屋主人、鈴木久吉が建碑を計画しましたが、志なかばで世を去りました。
彼の俳友達が意思を継ぎ、独歩27回忌を記念し昭和9年(1934)夏、亀屋の前に碑を建てました。
題字は島崎藤村が書いたものです。
大山街道 溝口緑地 国木田独歩碑 大山街道 溝口緑地 国木田独歩碑 
大山街道 二子二丁目公園 大貫家の人々 大山街道 二子二丁目公園 大貫家の人々 
大山街道 二子二丁目公園 大貫家の人々 大山街道 二子二丁目公園 大貫家の人々 

大貫家は岡本かの子の生家。若くして逝った兄・雪之助は藤村門下で、谷崎潤一郎とも親交が深かった。かの子は、のちに漫画家岡本一平と結婚。岡本太郎は、その長男である。
大山街道 二子神社 大山街道 二子神社 
大山街道 二子神社 大山街道 二子神社 

境内わきにある「かの子碑」は、岡本太郎の作。母を想い「誇り」と題している。昭和三七年秋完成。現代的なこの抽象彫刻と隣り合う二子神社の創建は古く、優に三百年をこえる。
大山街道 二子神社 大山燈篭 大山街道 二子神社 大山燈篭 

 大山は神奈川県中央部にある山岳で標高一、二四六メートル、年間降雨量が多く雨降山の別名がある。山頂に阿夫利神社があり、山腹に不動尊で有名な大山寺がある。雨者を総称して一般に大山様と呼ばれ、古くから農業、商売繁盛、技能芸能の神仏として農工商の庶氏に厚く信仰された。阿夫利神社の神官や大山寺の社僧を「御師」といった。御師は関東一円に特定の受持ち区域を持ち常々村々を巡回し大山信仰の布教と大山講の組織作りにつとめた。
 大山信仰がさかんになったのは江戸文化が発達した中期頃からで、江戸市民は多くの大山講を組織して集団で登山参拝した。
 落語の題材にもなっているように、江戸から大山街道を通り伊勢原に至り大山登山参拝後は一路平塚に出て、江ノ島 鎌倉 藤沢の名所旧跡を見物し神奈川より舟で品川に渡り江戸に帰る行程は、江戸市民が大山詣を兼ねた、三、四泊の観光慰安旅行であった。往来する大山詣での鈴の音は夜の大山街道に遠くからひびき、二子宿や溝口宿は大山詣の御客でにぎわった。
 古くから阿夫利神社は農業の神として信仰され、特に日照りが続くと大山様に雨乞いすればかならず雨が降ると信じられた。事実雨乞いすれば不思議と雨が降った。このため各村々には早くから大山講が組織され信者は毎年七月二十六日の山開きには村内一定の場所に大山燈籠を建て八月二十七日まで、連夜かかさず灯明をつけた。
 大山街道沿いに立つ大山燈籠は夜間通過する大山講中の道標ともなった。この燈籠は当時の夏の風物詩であった。旧高津村が二子神社前に建てた実物です。総桧造りで大正末期に再築されたもので電球で灯明した。その昔は二子の渡場に建てられ油、ローソクで灯明されていた。
大山街道 二子神社 大山街道 二子神社 

神社そのものは小さいが、右手に広場があり、そこに岡本かの子文学碑がある。
大山街道 二子神社 岡本かの子文学碑 大山街道 二子神社 岡本かの子文学碑 
大山街道 二子神社 岡本かの子文学碑 大山街道 二子神社 岡本かの子文学碑 

 若くして歌人として活躍し、後に名作「老妓抄」を著し、小説家として文筆をふるった岡本かの子は明治22年、二子の旧家大貫家の長女として生まれ、若き日の一時期を当地ですごしました。幼少の頃から天才の片鱗を示しはじめていたかの子にとって、多摩川の清流が与えた影響は、はかり知れぬものがあります。子供ながらに深い憂愁や、自分でもわけのわからない熱い情熱にかられると、かの子は、よく多摩川の河原へおりて気を鎮めたり、いっまでも物思いにふけっていたといいます。こうして、終生思慕してやまなかった多摩川への夢と憧れは、かの子文学の基調として後の作品の中に昇華していきます。
 この文学碑は、昭和37年、かの子の実子岡本太郎が、建築家丹下健三や地元の多くの人々の手を借りて建立したものです。築山の上の歌碑には、歌集「わが世」の一首で、また「老妓抄」の巻末を飾る「としとしにわが悲しみの深くしていよよ華やぐいのちなりけり」という歌が、かの子自筆で刻まれています。副碑は、かの子のよき理解者だった亀井勝一郎の撰文を、かの子が小説の師と仰いだ川端康成の楷書でしるしたものです。多摩川を見下し、大空に向って飛び立つようにそびえているのは、「誇り」と名づけられた岡本太郎の作品で、稀有な愛で結ばれ、芸術への殉死をとげたかの子と夫一平の愛の記念碑といえます。
大山街道 二子神社 岡本かの子文学碑 大山街道 二子神社 岡本かの子文学碑 
大山街道 二子橋交差点手前の交差点 大山街道 二子橋交差点手前の交差点 

交差点角の家の壁に飾られている。内容は栄橋交差点の案内板と同じである。
大山街道 二子橋交差点手前の交差点 大山街道 二子橋交差点手前の交差点 

正面に二子橋交差点の田園都市線の高架が見える。左折すると二子の渡しの案内柱がある。しかし、柱の周りには何の説明もなく、二子の渡しについては二子橋交差点に説明の案内板がある。
右折すると二子新地駅があり、角の家の壁に前の写真の大山街道の説明版が飾られている。
大山街道 二子橋交差点手前の交差点 二子の渡しの案内柱 大山街道 二子橋交差点手前の交差点 二子の渡しの案内柱 

付近にはそれらしきものもなく、説明もない。
東急 田園都市線 二子新地駅 東急 田園都市線 二子新地駅 
大山街道 二子橋交差点 二子の渡し 大山街道 二子橋交差点 二子の渡し 
大山街道 二子橋交差点 二子の渡し 大山街道 二子橋交差点 二子の渡し 

二子橋の完成は大正十四年。それまで、街道を行く人々はここ二子の渡しから多摩川を渡った。徒歩舟、馬船。河原には茶屋、蕎麦屋。舟待ちや、川遊びで、渡し場は大いに賑わった。
大山街道 二子橋交差点で国道246号に合流 大山街道 二子橋交差点で国道246号に合流 

国道246号は、上流側に架けられた自動車専用の新二子橋と、二子橋の2本に分かれ、瀬田交差点手前で合流する。歩道は下流側にしかない。

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