田園調布〜多摩川〜武蔵小杉

【関連サイト】 東急 目黒線(平成15年)
    横須賀線 開業直後の武蔵小杉駅H220329


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目黒線沿いに西進 目黒線沿いに西進 
目黒線沿いに西進 目黒線沿いに西進 
田園テニス倶楽部(旧 田園コロシアム)  田園テニス倶楽部(旧 田園コロシアム) 

かつては昭和11年オープンの田園コロシアムとして一世を風靡したが、施設の老朽化、有明コロシアムのオープンなどから平成元年に閉鎖され、敷地はマンションなどになった。
目黒線 多摩川駅 目黒線 多摩川駅 

目黒と蒲田とを結ぶ目蒲線が目黒線と多摩川線とに分離された時、多摩川園駅が多摩川駅に改称された。
多摩川駅 浅間神社 多摩川駅 浅間神社 
多摩川駅 浅間神社 多摩川駅 浅間神社 
多摩川駅 浅間神社 多摩川駅 浅間神社 
多摩川駅 浅間神社 富士講中興の祖 食行身禄之碑 多摩川駅 浅間神社 富士講中興の祖 食行身禄之碑 

碑文は勝海舟の直筆である。
多摩川駅 浅間神社 多摩川駅 浅間神社 

当浅間神社は、今から約八百年前、鎌倉時代の文治年間(一一八五〜九〇)の創建と伝えられます。右大将源頼朝が豊島郡滝野川に出陣したおり、夫の身を案じ、後を追って来た妻政子は、わらじの傷が痛み出し、やむなくここで傷の治療をすることになりました。
逗留のつれづれに亀甲山へ登ってみると、富士山が鮮やかに見えました。富士吉田には、守り本尊の「浅間神社」があります。政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。村人連はこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、永く尊崇しました。これが「多摩川浅間神社」のおこりです。
多摩川駅 浅間神社 東急東横線鉄橋 多摩川駅 浅間神社 東急東横線鉄橋 
多摩川駅 浅間神社 中原街道 丸子橋 多摩川駅 浅間神社 中原街道 丸子橋 
中原街道 多摩川に架かる丸子橋 中原街道 多摩川に架かる丸子橋 
中原街道 多摩川に架かる丸子橋 中原街道 多摩川に架かる丸子橋 

左奥に再開発中の武蔵小杉の高層マンション群が見える。左端は南武線向河原駅前のNECビルである。
中原街道 多摩川に架かる丸子橋 中原街道 多摩川に架かる丸子橋 

上流側に東横線の鉄橋が架かる。
中原街道 多摩川に架かる丸子橋 中原街道 多摩川に架かる丸子橋 
中原街道 丸子橋交差点 中原街道 丸子橋交差点 

丸子橋を渡り、丸子橋交差点で中原街道は右に進み、左折すると綱島街道になる。都道2号線 中原街道は普通の県道となり、綱島街道が県道2号線となる。
中原街道 丸子橋交差点で左折、綱島街道へ 中原街道 丸子橋交差点で左折、綱島街道へ 
綱島街道を南下 綱島街道を南下 

綱島街道は武蔵小杉、日吉、菊名を経て横浜で国道1号に至る。
綱島街道 新丸子交差点で右折 綱島街道 新丸子交差点で右折 
目黒線 新丸子駅商店街 目黒線 新丸子駅商店街 
目黒線 新丸子駅 目黒線 新丸子駅 
目黒線沿いに西進 目黒線沿いに西進 

綱島街道は目黒線から離れており、武蔵小杉までは線路沿いに歩く。
武蔵小杉駅前交差点で南武沿線道路に着く 武蔵小杉駅前交差点で南武沿線道路に着く 

東急目黒線・東横線の線路後方に再開発中の高層マンションが見える。
JR 南武線 武蔵小杉駅 駅前風景 JR 南武線 武蔵小杉駅 駅前風景 
JR 南武線 武蔵小杉駅 JR 南武線 武蔵小杉駅 

武蔵小杉駅は、東急線とJR南武線とが直角に交差する。北側は中原区役所をはじめ、日本医科大、NTTなどの企業が入る高層ビルが立ち並び、南側は居酒屋やパチンコ店などがある下町風の街である。
目黒線 武蔵小杉駅 目黒線 武蔵小杉駅 

JR武蔵小杉駅から連絡通路を渡ってくると、東急の改札口に着く。
目黒線 武蔵小杉駅 目黒線 武蔵小杉駅 

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