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目黒線 大岡山駅
【撮影記録】
平成25年 11月 1日 晴れ
9:35〜11:55 13,500歩(歩行距離 概算 9.5km 地図上 9.3km)
目黒線 大岡山駅〜田園調布駅〜武蔵小杉駅〜日吉駅
駅数 8、営業距離 7.6km
駅間距離が1.5kmか、0.5km前後かという区間を歩いた。後半の武蔵小杉〜元住吉〜日吉は疲れや坂道などで少しきつかった。
前回の目黒〜大岡山が歩行距離8.5kmで、今回は9.5kmであり、合わせて18.0kmである。歳を考えると一気に歩くにはキツイかなとも思う。やはり5年前とは違う。 |
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目黒線 大岡山駅前交差点 東工大
駅前広場の向かいに東工大のキャンパスがある。 |
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目黒線沿いに西進、坂を下る
左側に東工大のキャンパスがある。 |
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目黒線沿いに西進、坂を下る
大井町線は大岡山駅とほぼ同じ高さで西進するので、高架となって右に(北に)曲がって行く。目黒線は坂を下りつつ西進する。 |
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最初の踏切で目黒線を渡り、大井町線沿いに北上 |
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突き当りの大井町線 緑が丘駅前で左折
高架は大井町線で、右角に緑が丘駅がある。左折して住宅街を西進する。 |
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大井町線 緑が丘駅 |
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突き当り 奥沢神社前で左折、自由通りへ |
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自由通り 奥沢神社 奥沢神社の大蛇お練り行事
江戸時代の中頃、奥沢の地に疫病が流行して、病に倒れる者が多かったとき、ある夜この村の名主の夢枕に八幡大神が現われ、『藁で作った大蛇を村人が担ぎ村内を巡行させると良い』というお告げがあったという。早速新藁で大きな蛇を作り村内を巡行させたところ、たちまちに流行疫病が治ったという言い伝えがあり、これが厄除の大蛇として鳥居にからまり、大蛇お練りとして現在に伝えられている。蛇の形のものを作ってかつぎ歩く祭りは、全国的にあるが、都内では珍しい祭りである。蛇の形(水神の意)をかつぎ歩くことによって農耕に必要な水の確保や生産の順調なることを予祝する行事にほかならない。
奥沢神社では毎年九月の第一日曜日に氏子が集まり、大蛇づくりが行われる。これは社殿に安置され、社殿にあった昨年の大蛇を鳥居にかけられる。そして九月十四日の大祭に大蛇お練りが行われる。 |
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自由通り 奥沢神社 奥沢神社の大蛇お練り行事
鳥居に掛けられた前年の藁で作った大蛇である。始め左右のバランスが崩れた薄汚れた注連縄だと思った。鳥居前の案内を思い出し、よく見たら目玉が付いていたので大蛇と分かった。 |
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自由通り 奥沢神社
祭神 誉田別命宇賀魂命
世田谷城主吉良氏の家臣、大平氏が奥沢城を築くにあたり守護神として勧請したと伝えられる。 例祭の九月十四日・十五日に、江戸中期より伝えられている「厄除の大蛇」の特殊神事が行われ、境内の「八幡小学校発祥之地」の碑は、かつて八幡小学校々舎があったからである。 社殿は昭和四十五年に完成し、尾州檜材を用い、室町期の様式を採用したもので、都内においても他に類を見ない。 |
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自由通り 奥沢神社 社殿 |
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目黒線 奥沢駅 |
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自由通り 東玉川交差点で斜め右上に曲がり、環八通りへ
目黒線は西進して住宅街の地下を走り、左に曲がりつつ南下して田園調布駅に向かう。東玉川交差点は五差路交差点である。 |
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自由通り 東玉川交差点で斜め右上に曲がり、環八通りへ |
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田園調布中学校前交差点で環八通りを渡り、中学校脇の道を西進 |
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田園調布駅下交差点で右折、坂を上る |
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突き当りを左折し、すぐの田園調布駅下交差点で右折 |
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田園調布駅下交差点で右折、坂を上る |
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目黒線 田園調布駅 |
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目黒線 田園調布駅 |
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目黒線 田園調布駅 復元駅舎
屋根がマンサード・ルーフという欧州中世紀の民家がモデルといわれる復元駅舎であるが、エレベーターで1階の改札口に向かう。直接構内に入ることはできない。 |
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田園調布駅 西口風景
田園調布駅は目黒線と東横線とが接続し、駅舎の西側はいわゆる高級住宅街で、駅を中心とした同心円状の道路と、放射線の道路が特徴である。同じ形態は日吉駅にもある。 |
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田園調布駅 西口 田園調布の由来の碑
この広場を中心とする凡そ八十万平方米の地域は、明治文化の先覚者渋沢栄一翁が我国将来の国民生活の改善の為に当時漸く英米に現れ始めた「田園都市」に着目して、都会と田園との長所を重ねた模範的住宅地を実現させようと念願して、既にあらゆる公的関係から退かれた後であるにも拘らず自ら老躯を運んで親しく土地を選定された所であります。
以下略
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