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多摩川線 始発 多摩川駅
多摩川線は多摩川駅を始発とし、多摩川に沿って走る。多摩川駅〜下丸子は多摩堤通り、そこから蒲田までは環八通り沿いに駅がある。 駅数 7、営業距離 5.6km
【撮影記録】
平成25年 9月 17日 快晴
10:10〜11:45 9,000歩(歩行距離 概算 6.3km 地図上 6.3km)
多摩川線 多摩川駅〜下丸子駅〜蒲田駅
駅数 7、営業距離 5.6km
数回歩きを試みたが、あまりの蒸し暑さに完歩できなかった。前日の台風18号が通り過ぎ、快晴の上に湿度が低く、温度は高くても歩きやすかった。沿線風景は前回の5年前と変わらない。 |
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多摩川駅南口前 浅間神社 |
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多摩川駅南口前 浅間神社
当浅間神社は、今から約八百年前、鎌倉時代の文治年間(一一八五〜九〇)の創建と伝えられます。右大将源頼朝が豊島郡滝野川に出陣したおり、夫の身を案じ、後を追って来た妻政子は、わらじの傷が痛み出し、やむなくここで傷の治療をすることになりました。
逗留のつれづれに亀甲山へ登ってみると、富士山が鮮やかに見えました。富士吉田には、守り本尊の「浅間神社」があります。政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。村人連はこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、永く尊崇しました。これが「多摩川浅間神社」のおこりです。
承応元年(一六五二)五月、浅間神杜表坂の土どめ工事をしていたとき、九合目辺りから唐銅製の正観世音立像が発掘されました。多摩川で泥を洗い落としてみると片足が有ません。そこで足を鋳造してお祀りし、六月一日に神事を行いました。以来、神社のご祭礼は六月に行われております。 |
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多摩堤通り 丸子橋交差点で中原街道を渡る |
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多摩堤通り 丸子橋交差点から見た武蔵小杉の高層マンション群
前回の5年前は中央のタワーマンションから左の高層ビルだけだった。その後右にもビルが建ち、さらに建設中の高層ビルが幾つもある。
前回からほぼ2年半後の平成22年3月に横須賀線の武蔵小杉駅が開業し、新南口として従来の南武線の北口と連結した。成田エクスプレスも停車して利便性が拡大したことから、武蔵小杉は人気のエリアとなった。 |
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多摩堤通り 東海道新幹線、横須賀線鉄橋
鉄橋手前で多摩堤通りは左に大きく曲がり、曲がった所に沼部駅がある。 |
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多摩川線 沼部駅
目黒線は線路を挟んで多摩川駅行きと、蒲田駅行きの2つの改札口があり、両者はつながってはおらず、駅の外を回らなければならない。 |
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多摩堤通り 沼部駅の踏切を渡ってすぐ右折
多摩堤通りは道なりに右に曲がって行く。直進すると環八通りと中原街道が交差する田園調布警察前交差点に出る。
曲がってすぐ先にJRの新幹線、横須賀線の高架があり、くぐり抜けてすぐ左に密蔵院がある。 |
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多摩堤通り 密蔵院
門前左に寺所蔵の大田区指定の文化財である仏像などの説明板はあるが、密蔵院そのものの説明はない。 |
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多摩堤通り 密蔵院
庚申供養塔
寛文元年(一六六一)に造立された本区最古の庚申供養塔。当時の沼部村村民の有志八名が造立したもの。舟型の石に地蔵菩薩像を彫った形態は、初期の庚申供養塔の様式を示している。
銘文中の「庚申待」の文字は、本区所在の庚申塔中最初の記載で、庚申待の習俗を知る資料としても貴重である。
庚申待とは、道教の思想に基づく民間信仰で、庚申の日に人びとが宿に集まって、徹夜で談笑し、除厄息災を祈念する風習である。 |
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多摩堤通り 密蔵院 |
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多摩堤通り 密蔵院 門前の石像群
庚申供養塔があるはず、と探したが見つけることが出来なかった。 |
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多摩堤通り 商店街を南下
同じような商店街がひたすら続く真っ直ぐな道を歩くのは意外と疲れる。 |
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多摩堤通り 多摩堤保育園
多摩堤通りの右手には多摩川線の線路が見える。 |
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多摩堤通り 鵜の木交番前交差点で右折 |
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多摩川線 鵜の木駅 |
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多摩川線 鵜の木駅 熱中症計は警戒
現在時刻は10:40で、熱中症計の温度は35.1℃、湿度は24%である。
台風一過のせいか、温度は信じられないほど高いが、乾燥しており、風もこころなしかヒンヤリとしている。 |
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多摩堤通り 法務局出張所入口交差点
交差点右には印刷業のセザックスがある。法務局出張所は交差点を右折した所にある。 |
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多摩堤通り 下丸子駅前交差点で右折 |
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多摩堤通り 下丸子駅前交差点で右折
右折して区民プラザを経て多摩川線の踏切右手前に下丸子駅がある。右折せずに直進すると環八通りに出る。
交差点名の標識はないが、直進するとすぐ先に環八通りがある。 |
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下丸子駅前商店街 区民プラザ |
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多摩川線 下丸子駅 |