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代官山駅から商店街を通り、八幡通りへ
八幡通りに出るとすぐ左に代官山交番前交差点の歩道橋が見える。 |
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八幡通り 代官山交番前交差点で左折、旧山手通りへ
右折すると西郷山公園を経て渋谷に、左折するとすぐに鎗ヶ崎交差点である。 |
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旧山手通り 鎗ヶ崎交差点で右折、駒沢通りへ
左折するとJR恵比寿駅に至る。 |
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駒沢通り 鎗ヶ崎交差点先で東横線沿い側道へ |
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東横線と日比谷線沿いに側道の坂を下る
中央の2線は日比谷線で、それを挟んで東横線が走る。坂を下った所に日比谷線衝突事故の慰霊施設がある。 |
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東横線沿い側道 日比谷線同士の衝突事故による死者の慰霊施設
平成12年3月8日午前9時、中目黒駅から地下に入る手前で日比谷線の上下線の衝突事故で死者5名、重軽傷者63名の事故があった。 武蔵小杉で急行電車に乗り損なわなければ、事故車両に乗車していたはずだった。当初、爆発事故があった、との情報が流れ、日比谷線が止まり、渋谷駅への振替になったが、満員電車から見た上り電車の天井がきれいに削ぎ取られた光景を今でも思い出す。
慰霊碑がある門の中は監視カメラ付きで係員が常駐しており、簡単には入れない雰囲気である。慰霊碑は電車から注意深く見れば見ることが出来る。 |
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東横線沿い側道 目黒川に架かる日の出橋
目黒川は桜並木でも有名である。 |
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東横線沿い側道 突き当りで山手通りを渡る
高架は東横線/日比谷線で、山手通りを渡ると中目黒駅である。 |
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東横線 中目黒駅
日比谷線の終点でもある。以前は東横線の菊名駅まで乗り入れていたが、副都心線延伸により乗り入れは廃止され、中目黒駅で乗り換えなければならず、池袋方面に行くことはまれな沿線住民の不興の一つとなっている。 |
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山手通りを南下 中目黒駅前 中目黒GTタワー |
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山手通りを南下 中目黒駅前 中目黒アトラスタワー
山手通りの左側で、GTタワーの向かいにある高層マンションである。 |
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山手通り 中目黒立体交差点を右折、駒沢通りへ
左折して新道坂の長い急坂を上って行くと、旧山手通りと分岐する鎗ヶ崎交差点を経て恵比寿駅に向かう。 |
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山手通り 正覚寺 山門
駒沢通り沿いに小門があり、そこから正覚寺に入っても良いが、山手通りを少し南下して正面口に当たる山門から入る。
正覚寺をインターネットで調べると、葬儀会場の案内ばかり出て寺の来歴などは全く出てこない珍しい寺である。 |
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山手通り 正覚寺 由来
実相山正覚寺は、元和5年(1619)に日栄上人によって開かれた日蓮宗の寺です。初めは碑文谷法華寺(現、円融寺)の末寺でしたが、元禄の頃、不受不施問題の影響を受けて身延山久遠寺末になりました。 仙台の伊達家との関係が深く、4代藩主綱村の生母である三沢初子が本寺住職4世日猷、5世日登両上人に深く帰依し、客堂や庫裡等は初子の邸宅が寄進されて建てられたといわれています。初子は浄瑠璃や歌舞伎などで有名な「伊達騒動」の登場人物「先代萩の政岡」のモデルともいわれる人物です。また、綱村も生母初子の菩提を弔うため当寺へ特別の保護をしたといい、現在も伊達家の紋の入った建具などが残されています。 なお、鬼子母神堂には伝教大帥作と伝えられる鬼子母神像が、祖師堂には11代将軍徳川家斉が江戸城中で深く帰依していたという日蓮上人木像が安置されています。
墓地には三沢初子の墓(都指定文化財)があり、境内には6代目尾上梅幸の弟子尾上梅朝が演じた先代萩の政岡を元に、昭和9年(1934)に建てられた初子の銅像があります。 |
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山手通り 正覚寺 境内 |
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山手通り 正覚寺 鐘楼
右に布袋尊の石像がある。 |
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山手通り 正覚寺 本堂 |
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山手通り 正覚寺 本堂 |
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山手通り 正覚寺 本堂、三沢初子(先代萩 政岡)像 |
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山手通り 正覚寺 三沢初子(先代萩 政岡)像
境内には6代目尾上梅幸の弟子尾上梅朝が演じた先代萩の政岡を元に、昭和9年(1934)に建てられた初子の銅像があります。 |
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山手通り 正覚寺 小門を出て左折、駒沢通りへ |