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旧綱島街道 菊名駅前商店街
見るからに狭い道であるが、両面対向の道路である。 |
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旧綱島街道 JR横浜線のガード下を抜け、すぐ左折して横浜線沿いに南下 |
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旧綱島街道 JR横浜線のガード下を抜け、すぐ左折して横浜線沿いに南下
ガード下を抜けると旧綱島街道の標識がある。 |
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旧綱島街道 横浜線沿いに南下 菊名記念病院 |
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旧綱島街道 東横線の踏切を渡り左折、線路沿いに南下 |
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旧綱島街道 菊名池公園
旧綱島街道の右手で、妙蓮寺駅手前にある公園である。 |
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旧綱島街道 菊名池公園 |
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旧綱島街道 菊名池公園
黄葉、紅葉した木々が美しい。 |
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旧綱島街道 菊名池公園 熱中症計はほぼ安全
現在時刻は12:05で、熱中症計の温度は20.5℃、湿度は40%である。
11月中旬であるが、小春日和で暖かいというよりも暑く、袖をめくり上げた長袖シャツも汗でぐっしょりと濡れている。 |
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旧綱島街道 菊名橋交差点
交差点を渡った左には妙蓮寺駅のホームが見える。 |
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旧綱島街道 閉店されたブティック角で左折
左折すると妙蓮寺の山門が見え、踏切手前の左に妙蓮寺駅がある。 |
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東横線 妙蓮寺駅 |
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旧綱島街道 妙蓮寺 山門 |
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旧綱島街道 妙蓮寺 境内
妙蓮寺縁起
当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で、長光山妙蓮寺と言う。お祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳の一人、日像上人の作である。
当山の前身は観応元年開山大経院妙仙寺であり、今の横浜市神奈川区神明町にあったが、明治四十一年横浜鉄道臨港線引き込み線敷設に際して止むなく移転となり、当時の住職第四十一世慈性院日體上人は池上本門寺の末寺浄寿山蓮光寺を移転先に選んだ。
蓮光寺は天正年間正乗院日運上人が池上本門寺第十二世日惺上人を請じて開山とし、自らは第二世となり創設した寺院である。そして両山は明治四十一年八月八日この地に合併開山し、妙仙寺の「妙」と蓮光寺の「蓮」を合わせて「妙蓮寺」と改め日體上人が第一世となった。
妙蓮寺第二世慈開院日偉上人は、大正十五年東京横浜電鉄の開通による境内の軌道敷設に快諾し、妙蓮寺境内を無償で提供する。ここに妙蓮寺駅ができ、付近一帯の発展に寄与した。
昭和四十四年、妙蓮寺第三世慈篤院日仙上人は、宗祖御降誕七五〇年を記念し、五年の歳月をかけて現在の本堂と客殿を完成し、その後、庫裏、客殿を増築した。
平成二十年、当山現住職第四世日英は境内整備墓地区画整理を完了し現在に至る。 |
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旧綱島街道 妙蓮寺 本堂 |
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旧綱島街道 ひたすら南下 |
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旧綱島街道 白幡 身代わり地蔵尊
身代わり地蔵尊の由来
昔尾張の国から幼い兄妹が武蔵の国府中に住む叔父を尋ねて旅を続けこの地蔵尊前まできた処、突然辻強盗が現れ太刀を振りかざして襲ってきました。兄妹はとっさに地蔵尊の蔭にかくれたため、太刀の手元が狂い、地蔵尊の首を切り落としました。そのはずみで刀は折れ切先は辻強盗につきささり返り血で地蔵尊は朱に染まってしまったが、兄妹は危く難を免れたと伝えられています。以来土地の人はこれを身代り地蔵尊または血染めの地蔵尊と呼び、益々信仰するようになりました。 |
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旧綱島街道 白幡 身代わり地蔵尊 |
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東横線 白楽駅
妙蓮寺駅同様、旧綱島街道には道案内がないので分かりにくいが、多くの人が左折して行くので白楽駅があることが分かる。 |