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大手高麗門
大手門は、田安門、桜田門のように二つの門が直角に配置された「枡形門」の形式をとっている。 |
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大手高麗門修繕工事
江戸城の正門にあたる大手高麗門は慶長12年(1607)創建と伝えられており明暦の大火明暦3年(1657),元禄16年(1703)並びに安政2年(1855)の大地震等の度々の災害に見舞われた。その都度修復が繰り返されたものと考えられ,近年では大正12年(7923)の関東大地震にて周囲石垣築地塀とも被災し,大正15年(1926)から昭和2年(1927)にかけて,周囲石垣築地塀とともに復旧されたとの記録が残されています。
近年では,戦災で焼失した大手門渡櫓の再建工事(昭和42年3月竣工)に併せて,大規模な改修が施されており,現在に至っております。 |
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大手門 渡櫓 |
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旧大手門渡櫓の鯱 |
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旧大手門渡櫓の鯱
1945年(昭和20年)4月、戦災で消失したした旧大手門渡櫓の屋根に飾られていた鯱です。頭部に「明暦三丁酉」と刻んであることから、明暦の大火(1657年)で消失した後、再建された際に製作されたものと推定されます。今の大手門渡櫓は、1968年(昭和43年)に再建されたものです。 |
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東御苑 案内図 |
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工事中の同心番所
冬の人出が少ない時期に合わせて修繕工事を進めている。 |
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大番所脇の石垣修繕工事 |
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本丸庭園 |
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本丸庭園 午砲台跡
午砲とは、通称「ドン」である。正午を知らせる号砲で、明治4年(1871年)に始まり、大正11年(1922年)まで行われた。 |
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天守台
最初の天守閣は、1607年(慶長12年)、二代将軍秀忠の代に完成しましたが、その後大修築され、1638年(寛永15年)、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣が完成しました。外観5層、内部6階で、地上からの高さは58メートルありました。しかし、わずか19年後の1657年(明暦3年)、明暦の大火(振り袖火事)で、飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした |
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天守台 |
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天守台
下に見える門は北桔橋門で、遠くに武道館の屋根が見える。 |
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天守台 |
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北桔橋門から見た竹橋方向
中央の白いタワー付近が竹橋にある毎日新聞本社である。北桔橋門を出ると、目の前に北の丸公園がある。 |
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北桔橋門 |
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北桔橋門 |