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清澄庭園・清澄公園
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こどもの日の清澄庭園 隅から隅まで散策H240505
清澄庭園の正門から入り案内に従い左手に進むと、岩崎家が各地から集めた奇岩名石の数々があり、大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移築した大正記念館、新緑の木々に映える泉水を見つつ突き当りで右折、清澄通り沿いの鉄柵沿いに東辺を歩く。中の島を渡り、富士山を見つつ庭園の南東角に当たる九重塔、石仏群(江東区文化財)に至る。
清澄庭園の南東に位置し別名を「つつじ山」とも言われる富士山から、対角線の北西にある正門方向を見ると泉水を挟んで、中村学園や大正記念館、新緑の木々が美しい。庭園の南辺に沿って歩き、自由広場に入り、花菖蒲田、江東区立深川図書館前の「古池の」で有名な芭蕉の句碑、親子竹とんぼ教室を見た後に涼亭に着く。泉水沿いに歩き、東日本大震災で損傷を受けて撤去された傘亭跡、石橋、大正記念館と経て、正門に戻る。
清澄庭園と清澄公園
清澄庭園は江戸の豪商紀伊国屋文左衛門の別邸と言われ、関宿の城主久世大和守の下屋敷を経て明治になり、三菱財閥の岩崎彌太郎が深川親睦園として買い取り、その後隅田川から水を引いて大泉水を作ったりした。関東大震災で避難場所としての価値に注目され、岩崎家から東半分を東京市に寄付された。戦後に西半分も清澄公園となった。
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