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橋場通り 山谷堀公園 旧今戸橋
山谷堀がいつ頃掘られたかはっきりしないが江戸の吉原との関係からみてもおそらく江戸初期にできたものであろう。
都下水道局ポンプ場のところから隅田川へと注ぐ約七〇〇メートルにおよぶ山谷堀は、北区の音無川を源とし、飛鳥山の北側、王子権現の下を経て通じていた。
当時、この堀は吉原への通路の一つであった。山谷堀を通るので吉原通いを別名、山谷通いともいった。猪牙船などを仕立ててこのコースを使う遊興はぜいたくとされ、まさにおだいじん遊びだった。
堀の上流の方から日本堤橋、地方橋、地方新橋、紙洗橋、山谷堀橋、正法寺橋、吉野橋、聖天橋、今戸橋と九つの橋がかけられていたが、埋立に伴いすべて取り除かれており、橋台のみが昔の面影を残している。
現在は、水と緑の懇いの公園として整備されている。 |
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橋場通り 山谷堀公園
山谷堀が何時掘られたかは分からないが、遊郭吉原との関係から江戸時代始めと思われる。当時この堀は吉原への通路の一つで、別名山谷通いとも言った。 |
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橋場通り 山谷堀公園 |
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山谷堀公園 |
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山谷堀公園 |
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吉野通り 山谷堀公園 |
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吉野通り 山谷堀公園
山谷堀が何時掘られたかは分からないが、遊郭吉原との関係から江戸時代始めと思われる。当時この堀は吉原への通路の一つで、別名山谷通いとも言った。 |
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吉野通り 山谷堀公園
橋の名前は吉野橋である。 |
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山谷堀公園 |
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山谷堀公園 山谷堀橋跡
これ以外にも多くの橋の跡があった。 |
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山谷堀公園
土手通りの地方橋交差点で左折、桜橋近くの待乳山聖天まで続く。
山谷堀が何時掘られたかは分からないが、遊郭吉原との関係から江戸時代始めと思われる。当時この堀は吉原への通路の一つで、別名山谷通いとも言った。 |
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吉原大門 |
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吉原大門 見返り柳
遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳の辺りで遊郭を振り返ったと言うことから、、見返り柳の名が付いた。 |
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吉原大門 見返り柳
旧吉原遊廓の名所のひとつで、京都の島原遊廓の門口の柳を模したという。遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊廓を振り返ったということから、「見返り柳」の名があり、
きぬぎぬのうしろ髪ひく柳かな
見返れば意見か柳顔をうち
など、多くの川柳の題材となっている。
かつては山谷堀脇の土手にあったが、道路や区画の整理に伴い現在地に移され、また、震災・戦災による焼失などによって、数代にわたり植え替えられている。 |
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吉原大門 見返り柳 |