三ノ輪 投げ込み寺(浄閑寺)
明治通りと交差する大関横丁から日光街道を少し北上した所に投げ込み寺(浄閑寺)がある。安政大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれる。新吉原総霊塔が建立され、花又花酔の川柳「生まれては苦界、死しては浄閑寺」が彫られている。 新吉原総霊塔の前には、遊女の悲劇に思いを寄せた永井荷風の碑や、山谷労働者のためのひまわり地蔵がある。