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氷川神社 二の鳥居
大宮駅から旧国道16号線を歩き、氷川神社入口交差点で左折すると、この碑が見える。 |
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氷川神社 二の鳥居 |
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氷川神社 二の鳥居
大きな鳥居であり、そこから神社までの参道が遠く見えた。しかし、本当の参道はこんなものではないことを後で分かった時はびっくりした。 |
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氷川神社 二の鳥居
氷川神社は、社記によると第五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。当社は、古くから歴朝や武将の尊崇を集めた大社としてその歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知の通りである。 |
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氷川神社 二の鳥居 氷川神社参道ふるさとの並木道
身近な緑が、姿を消しつつある中で、貴重な緑を私たちの手で守り、次代に伝えようとこの並木が「ふるさとの並木道」に指定されました。
左の地図の左下端の斜線が中仙道と書かれている。中山道と言えば国道17号線、との認識があり、東北本線を挟んで反対側のはずで、いずれにせよ、これから行く浦和方面とは方向違いと思った。 |
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氷川神社 参道 |
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氷川神社 石灯籠
参道に石灯籠は珍しくはないが、通り過ぎて「文化14年」と裏に書いてあるのには驚いた。文化14年とは1817年で、11代将軍家斉の時代である。 |
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氷川神社 石灯籠 |
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氷川神社 三の鳥居 |
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氷川神社 神楽殿
三の鳥居をくぐるとすぐ右手にある。 |
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氷川神社 額殿
左の立て看板には、この額殿が江戸末期の建物なので、地震の時はすぐに立ち退くように、との注意が書かれている。 |
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氷川神社 神橋 |
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氷川神社 神池 |
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氷川神社 楼門 |
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氷川神社 舞殿 |
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氷川神社 拝殿 |
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氷川神社 境内案内図 |
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氷川神社
氷川神社は今から凡そ二千有余年前、第五代孝昭天皇の御代三年四月末の日の御創立と伝えられます。当神社は、歴朝の御崇敬・武将の尊敬も篤く、 景行天皇の御代日本武尊は東夷鎮圧の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き、格式高く聖武天皇の御代武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預り又臨時祭にも奉幣に預っています。武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の各将軍家等相継いで尊仰し、奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、祭祀も厳重に行われていました |
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氷川神社 参道 |
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氷川神社 二の鳥居
元々はこの鳥居を出て右折、国道16号線を経て大宮駅に出て線路沿いに南下する予定だった。しかし、参道がまだ続くようだったので、そのまま歩くことにした。 |
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氷川神社 参道
参道ではあるが、平成広場と言う名の公園でもある。 |
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氷川神社 参道 |
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氷川神社 参道 |
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氷川神社 参道交番で右折
まだまだ参道は続くようだが、東北本線の反対側にある中山道(国道17号線)に出ると思っていたので、ここで右折し、大宮中央通りを歩いて大宮駅に戻ることにした。 |
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氷川神社 参道
参道交番を過ぎても参道はまだまだ続くようであるが、これ以上歩いても、と思った。しかし、これは後で驚くことになった。 |
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氷川神社 一の鳥居
道路名も分らぬままに大宮駅東口の高島屋手前の道を歩き、さいたま新都心駅のすぐ手前に氷川神社の一の鳥居の案内図があった。これを見て道が旧中山道であることを知った。案内図でも分るが、氷川神社の参道は一本道で約2kmである。
大宮駅から歩いて氷川神社の参道に入った二の鳥居は、地図の一番上の左右の道路(国道16号線)と、緑の参道が交差する所である。その下の道路の大宮中央通りで右折、左の灰色の箱が大宮駅で、その手前で左折し、南下してきたことになる。 |
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氷川神社 一の鳥居 |
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氷川神社 一の鳥居 |
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氷川神社 一の鳥居
宮まで十八丁と彫られている。1丁は約110mなので、2kmで氷川神社る。一の鳥居はさいたま新都心駅の手前で氷川神社り、大宮駅との距離は1.6kmなので妥当な数値である。 |