有名神社
見出し 見出しに戻る 赤字は最近全面改訂 |
01 | 神田明神 | 02 | 日枝神社(日枝山王社) |
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03 | 浅草神社 | 04 | 富岡八幡宮 | |
05 | 湯島天神 | 06 | ||
07 | 明治神宮 | 08 | 靖国神社 | |
15 | 亀戸天神 | 16 | 浅草 鷲神社 | |
21 | 鎌倉 鶴岡八幡宮 | 22 | 湯島聖堂 | |
26 | 武蔵国一之宮 氷川神社 | |||
30 | 太宰府 天満宮 |
神田明神は御茶ノ水から聖橋、湯島聖堂を経て秋葉原へ向かった所にある。境内は小さいが、天下祭はさすがは神田明神と思わせる豪華絢爛な祭りである。平将門の怨霊を鎮めるための神社としても知られ、天下祭のコースにも重要な行事が執り行われる。
日枝山王神社は、太田道灌が江戸城鎮護の神として勧請したのが起源で、明暦の大火(振袖火事)で現在地に移転した。
赤坂通りと外堀通りが交差するところに聳え立つ独特の山王様式の赤坂大鳥居から入る。鳥居脇に出来たエスカレーターは年配者には便利である。首相官邸に近い朱塗りの本殿があり、赤坂界隈の喧騒とは無縁の静かさである。雪の白さと朱色の神社との対比も素晴らしい。参拝した後神門を出て、急な石段の男坂を下り、山王鳥居から出る。
赤坂大鳥居脇には、ビートルズが泊まったことで有名で、昨年末に営業を停止した東急キャピトルホテルがある。赤坂大鳥居から左側の稲荷参道に向かうと、小さな赤い鳥居が続く中を上り、山王稲荷神社がある。もともとこの地にあったが、後で移転してきた日枝山王神社の摂社となり、回廊の裏になるため見えにくい。
浅草神社は浅草寺の右隣にひっそりとある神社で、これがあの有名な三社祭の神社とはとても思えない。いつ行っても賑わっている浅草寺に比べ、人影もまだらである。
東西線と大江戸線が交差する門前仲町にあり、江戸下町を代表する神社である。勧進相撲の開催地のため、力石や大関力士碑などがある。深川不動が隣接している。
都指定文化財の銅製の表鳥居から入ると、普段は土産物の屋台が並ぶ参道もよしず張りの菊花展となり、本殿や、参集殿などに所狭しと見事な菊の鉢が並べられている。湯島天神は、不忍通りからは男坂、女坂があり、春日通りには立派な門がある夫婦坂がある。小規模な梅園には、菅公一千年祭碑、奇縁氷人石、泉鏡花 筆塚などが並ぶ。参集殿には大河ドラマ篤姫の菊人形が飾られ、本殿との渡り廊下にまで懸崖が並べられている。
裏手に回ると、千本咲や、ダルマ作りなどの素人にも分かりやすい説明がつけられた菊の鉢が並べられ、圧倒される。説明を読むと、菊花の特徴、評価ポイント、出来た経緯などが懇切丁寧に書かれており、漫然と並べられている日比谷公園の菊花展とは雲泥の差である。多くの見物客がまず説明を読み、それから花を見てなるほど、と頷いている。菊花を堪能した後、夫婦坂から春日通りに出る。
代々木駅に近い明治神宮の北参道から入り、本殿を経て、南参道を歩いて原宿駅までのコース、逆のコース、西参道へのコースをウォーキング。明治神宮は、明治天皇・昭憲皇太后をお祀りする神宮で、大正9年に創建された。全国から10万本の献木(365種)があり、人工の鎮守の森として造成された。地名の由来となった代々木、神橋などがある。
明治神宮御社殿復興50年記念として、「アカリウム」と称するライトアップが平成20年10月31日から11月1日にかけて行われた。、原宿駅の神宮橋を渡ると、時々刻々色が変わる「オーロラ提灯」の巨大な壁が出迎える。大鳥居を背景に、「宙の玄関」と言う夜空に二本の光の柱が出来、神橋には川面にスモークがたかれてライトアップされ、森厳な雰囲気を演出している。広い社殿前の広場に大きな黒い舞台が設けられ、長唄と奉納舞が演じられた。
北の丸公園から出た所にある田安門交差点の歩道橋傍には、常燈明台(高燈籠)があり、続いて品川弥二郎子爵、日露戦争の満州軍総司令官で、西郷隆盛の従弟である大山巌元帥の像がある。今年創立140年の靖国神社の大鳥居(第一鳥居)から石灯籠が並ぶ参道を進むと、右手に常陸丸殉難記念碑、田中支隊忠魂碑、慰霊の泉と続き、第二鳥居との中間点に帝国陸軍創始者の大村益次郎の巨像がある。 第二鳥居前の大灯籠は、右は日本海海戦の三笠艦橋の図や、日清戦争の黄海海戦等の海軍の、左は義和団の変での天津城攻撃、爆弾三勇士などの陸軍の戦闘場面のレリーフが飾られている。神門、中門鳥居を通り、拝殿に至る。拝殿脇には、各地の神社の絵馬や、全国靖国献酒会のラベルが展示され、正月らしさが漂う。数年前に独特の歴史観で物議をかもした遊就館を経て、南門から靖国通りに出る。南門前には、幕末三道場の一つ神道無念流の練兵館跡の碑がある。
四ツ目通りを太平4丁目交差点で右折、蔵前橋通りを進み、横十間川に架かる天神橋を渡ると亀戸天神に着く。亀戸天神は、寛文2年(1662)、太宰府天満宮より勧請、小規模ながら結構は大宰府に倣って造営されている。朱色の鳥居をくぐると石造の太鼓橋があり、藤棚のある心字池の向こうに本殿がある。本殿の脇には五歳の菅公像や、天滿宮独特の鷽替え神事の鷽像、国産マッチ創始者の顕彰碑などが並ぶ。心字池には琴柱燈篭も奉納されているが、何故か「琴字」と書かれた奉納碑がある。
鷲神社は、江戸時代「鷲大明神社」と称されていたが、明治のはじめ「鷲神社」と改称された。祭神は天之日鷲命・日本武尊の二神。草創は不明である。社伝によれば、天之日鷲命の祠に、日本武尊が東国征伐の帰途、熊手をかけて戦勝を祝った。この日が十一月酉の日で、以後、この日をお祭と定めたという。
3年前に国際通りを走るつくばエクスプレスが開通した時に訪れた鷲神社は、閑散としていた。狭くはない境内の至る所に熊手を売る店が軒を接し、参拝客でごった返すため、歩くのもままならない。金、銀、赤など華やかな色で飾られた熊手は芸術品と言っても過言ではなく、数十万から2000円と幅広い値段である。境内を仕切ってテントを張り、人がすれ違うのも難しい狭い通路は、どこを行けば参道に出られるのかも分からない。酉の市にだけ売られる菓子「切山椒」の屋台もある。
鶴岡八幡宮は、鎌倉駅の三の鳥居からか、円覚寺や建長寺見物の続きで西側の本宮横から入ることが多い。東鳥居から入ると、すぐにぼたん園や源氏池があり、池の前に君が代で歌われる「さざれ石」がある。源実朝を暗殺した公暁が隠れた大銀杏、工事を終え色鮮やかな本宮、舞殿など、観光客で賑わっていた。
湯島聖堂の前身は昌平坂学問所(昌平黌)で、明治維新後に大学を設置するため孔子以下の諸像を撤去したが、後に元に戻した。御茶ノ水の聖橋門からも入れるが、秋葉原の昌平橋近くの正門から入った方が分りやすい。仰高門から入ると、右手に斯文会館があり、突き当たり右に大きな孔子銅像がある。うっそうとした木立の中をさらに進むと、入徳門、杏壇門を経て、大成殿(孔子廟)に到る。大成殿は中国式の石床で、中に孔子の小さな像が祀られている。大成殿脇の西門から出ると神田明神はすぐ傍である。鳥居から湯島天神に入る。
受験生で賑わい、菊人形でも有名な湯島天神は室町時代初期に勧請されたと言われ、学問の神様である。湯島天神から春日通りに出ると、不忍池に近い。
武蔵国一之宮 氷川神社は首都圏に多くある氷川神社の総本社で、大宮駅の東北に位置し、明治になって社地の多くを寄贈して大宮公園になった。二の鳥居から拝殿までの参道は一直線で長いが、一の鳥居は拝殿からさいたま新都心駅手前までまっすぐに延び、2km南の旧中山道にある。参道の一部は公園となっており、並木も整備されている。境内は鮮やかな朱色の神橋、楼門をはじめ、歴史を感じさせる建物が建ちならぶ。参道には約200年前の文化14年と彫られたの石灯籠がある。
西鉄福岡(天神)駅から西鉄二日市駅で乗り換え、神社風の造りの西鉄太宰府駅に着く。観光客だけでなく、受験生で混雑する表参道は名物の梅ヶ餅の香ばしい香りが漂う。
南北朝時代に寄進された石鳥居から天滿宮に入り、心字池に架かる太鼓橋を渡り、鮮やかな朱色の楼門を経て本殿に至る。本殿脇には飛梅の故事に因む白梅があり、揃いの法被を着た受験生がお祓いを受けている。