中山道 散策
(English)
写真の一覧表へ
写真をクリックするとコメントが見られます。
旧中山道 点描 |
|
旧中山道 板橋駅から少し北上、中山道(国道17号線)沿いに都営地下鉄三田線の新板橋駅から西進。 |
|
旧中山道 板橋宿 中山道は東山道と呼ばれ、古くから西国と東国を結ぶ要路として利用されてきた。慶長7年(1602年)、江戸幕府によって五街道の一つとして整備されたが、板橋は日本橋から第一の宿として、街道沿いにその長さが約2kmに及ぶほど栄えていた。 旧中山道関係はこの板橋宿以外にも、志村1丁目の一里塚がある。 |
|
旧中山道 点描 | |
旧中山道 仲宿 旧中山道としては直進するが、コース設定の都合で右折する。 |
|
文殊院 江戸時代初期、本陣飯田家の菩提寺として古くから信仰を集めていた延命地蔵尊の境内をひろげて建立された。安政以降正住職をおかず、赴任する仮住職も短期間で他の大寺に転住し、出世寺とも呼ばれた。 |
|
文殊院 | |
旧中山道 仲宿 | |
板橋 この橋を板橋といい、地名の由来になり、古くは鎌倉時代から室町時代の古書に見られる。板橋宿は南の滝野川村境から、北の前野村境までの約2.2kmあり、この橋から京よりを上宿、江戸よりを中宿、平尾宿と称し、三宿を総称して板橋宿と呼んだ。 |
|
板橋 | |
板橋 橋の下は石神井川で、花見シーズンの時は桜並木が見事である。 |
|
旧中山道 点描 | |
旧中山道 点描 | |
縁切榎 江戸時代から板橋宿の名所として名高い。いつの頃からか、この木の下を嫁入りの行列が通ると必ず不縁になると言う信仰が生まれ、皇女和宮が徳川家に嫁入りの際には、縁起が悪いと、この場所を迂回したと言う逸話も残っている。 |
|
縁切榎 |
志村1丁目 一里塚 |