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赤坂見附跡 |
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喰違見附跡
彦根藩中屋敷跡の碑から少し四谷方向に向かった所にあり、紀尾井坂との交差点にある。 |
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馬場先門跡碑 |
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浅草見附跡
浅草橋の北詰にある。奥州街道の道筋で、浅草観音への道でもあり、浅草見附があった。 |
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高輪大木戸跡
田町よりの出入り口を出て、品川に向かって第一京浜の左側を進むと目の前に見える。赤穂義士の泉岳寺は、品川よりの出口で、第一京浜の右側である。 |
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高輪大木戸跡
高輪大木戸は、江戸時代中期の宝永七年(一七一〇)に芝ロ門にたてられたのが起源である。享保九年(一七二四)に現在地に移された。現在地の築造年には宝永七年説・寛政四年(一七九二)など諸説がある。江戸の南の入口として、道幅約六間(約十メートル)の旧東海道の両側に石垣を築き夜は閉めて通行止とし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた。四谷大木戸は既にその痕跡を止めていないので、東京に残された、数少ない江戸時代の産業交通土木に関する史跡として重要である。 |
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高輪大木戸跡
「高輪大木戸跡」の文字は第一京浜側にあるが、生垣があり、見ることが出来ない。撮影も面倒だった。 |