|
JR 上野駅 中央改札口
上野駅〜かっぱ橋道具街〜浅草寺〜待乳山聖天〜今戸神社〜一葉記念館〜鷲神社〜浅草六区ブロードウェイ商店街〜浅草駅
【撮影記録】
平成26年 11月 7日 晴れ
10:30〜13:10(昼食 15分) 13,000歩(概算 9.1km 地図上の距離 7.6km)
春から腰痛に悩まされており、殆ど歩いてないのでどこで中止しても最寄りに交通手段があるコースを選定した。腰痛対策を厳重にしたこともあって完歩出来たが、さすがに最後の六区では疲れからくる筋肉痛が出て昼食休憩となった。
天気もよく、汗をかきながらの散策だった。 |
|
JR 上野駅 中央改札口
3日後に鷲神社で一の酉が行われるので、大きな幕と熊手が飾られていた。 |
|
JR 上野駅 中央改札口
中央改札口前で右折して浅草口に向かう。 |
|
JR 上野駅 浅草口
目の前に上野駅交差点が見える。 |
|
中央通り 上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ |
|
中央通り 上野駅交差点で昭和通りを渡り、浅草通りへ |
|
浅草通り 下谷神社
下谷神社は、浅草通り沿いに立つ赤い大鳥居が目印。下谷の鎮守として広く信仰を集め、「稲荷町」の地名の由来ともなった。社殿の天井に描かれた「板絵着色雲竜図」は横山大観の作で、湧き立つ雲の中に突如現れる竜を描いた迫力あふれる水墨画だ。
境内には寄席発祥之地の碑、正岡子規句碑がある。 |
|
浅草通り 講道館柔道発祥の地(永昌寺)
明治十五年(一八八二)、講道館柔道の創始者嘉納治五郎(一八六〇〜一九三八)が友人や門弟とともに稽古をはじめたところが、当下谷永昌寺の書院であった。 これが今日、世界各国に普及し国際的な広がりを持つ講道館柔道の発祥とされている。道場となった書院の広さは十二畳、初年の門弟は九人であった。 同年夏、当時の住職朝舜法(一八三七〜一九一四)の協力を得て、玄関脇の空地に、十二畳のバラック建て道場を新築したが、翌一六年(一八八三)神田に移った。
永昌寺は、浄土宗で永禄元年(一五五八)下谷長者町に創建、寛永十四年(一六三七)現在地に移転した。大正十二年の大震災により当時の建物は焼失している。
境内の「講道館柔道発祥之地」と刻む自然石の記念碑は、昭和四十三年十月、嘉納治五郎没後三十周年を記念し、講道館が建立した。 |
|
浅草通り 講道館柔道発祥の地(永昌寺) |
|
浅草通り 稲荷町交差点で清洲橋通りを渡る
交差点手前角に銀座線稲荷町駅がある。銀座線は戦前に開通した最も古い路線で、浅草方面と渋谷方面とで乗り場が違い、乗り換えは地上に出て浅草通りを横断しなければならない。 |
|
浅草通り 稲荷町 仏具店街
日焼けを防ぐため、入り口は全て北側にある。同じ理由で神田神保町の古本店街も入り口は北側となる。 |
|
浅草通り 菊屋橋交差点で左折、かっぱ橋通りへ |
|
浅草通り 菊屋橋交差点で左折、かっぱ橋通りへ |
|
浅草通り 菊屋橋交差点で左折、かっぱ橋通りへ |
|
かっぱ橋通り かっぱ橋道具街を北上 |
|
かっぱ橋通り かっぱ橋道具街を北上
珍しく外国人観光客がいなかったが、いつも大勢の人が食品サンプルを見たり買ったりしている。 |
|
かっぱ橋通り かっぱ橋道具街を北上
食品サンプルの出来栄えも見事だが、値段も結構する。鰻丼、天丼共に5,940円である。但し外人には昨今の円安で大幅に安くなる。つい最近までは70円/ドルだったが、今は115円/ドルであり、鰻丼は85ドルが52ドルで6割になり、ほぼ半額となる。 |
|
かっぱ橋通り かっぱ橋道具街 合羽橋南交差点 |
|
かっぱ橋通り 合羽橋交差点で右折、合羽橋本通りへ |
|
合羽橋本通りを東進
合羽橋交差点付近には刃物などの道具店があるが、すぐ普通の商店街になる。 |
|
合羽橋本通りを東進
正面にスカイツリーを見ながら歩く。 |
|
合羽橋本通り 東西めぐりん #27 西浅草三丁目
台東区のコミュニティバスである東西めぐりんのバス停で、以前は「#24 テプコ浅草館」だったが、いつの間にか「#27 西浅草三丁目」になっていた。また、右の建物はテプコ浅草館だったが、コンビニになっている。 |
|
合羽橋本通り 公園六区交差点で国際通りを渡る |