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円山公園 南口から入る |
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円山公園 南口から入る |
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円山公園 南口から入る |
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円山公園 名物 枝垂桜
枝垂桜
この桜は、「円山の枝垂桜」、「祇園の夜桜」として惜しまれながら昭和二十二年(一九四七)枯死した枝垂桜の二代目です。
初代の枝垂桜は、八坂神社が、祇園感神院と呼ばれていた頃、その坊の一つ宝寿院の庭にあったものといわれています。
明治初年、この付近の地が官有地に編入され、樹木が伐採されようとしたとき、明石博高氏が名木を惜しみ、譲り受けて京都府に寄贈し、のちに円山公園が京都市に移管されるに伴って、市の管理となりました。
初代の桜は、樹齢二百余年、根廻り約4メートル、高さ約十二メートルに及び、明治中頃には盛観を極めたといわれています。
現在の桜は、十五代佐野藤右衛門氏により、昭和初年に初代の桜から種子を採って育てられたもので、昭和二十四年(一九四七)に寄贈、植栽されました。
この桜の正式な名は「一重白彼岸枝垂桜」といい、数多い桜の種類の中では、最も寿命の長いものといわれています。 |
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円山公園 案内図 |
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円山公園 知恩院 南門 |
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円山公園 知恩院 南門
知恩院
浄土宗の総本山で法然上人を開基とする。
この地は法然上人が比叡山から下り、草庵(吉水の草庵という)を結び、初めて浄土の教えを宣布した所である。法然の死後、文暦元年(一二三四)に弟子勢観房源智が廟所を整えて華頂山知恩教院大谷寺と号し、自ら当寺第二世となった。
応仁の乱の時には一時兵火を近江に避けたが、のち徳川家康の手厚い帰依を受け、広大な寺地の寄進を受けて寺観を整えた。三門は徳川秀忠が元和七年(一六二一)に建立した宏壮雄麗な大楼門で、国宝に指定されている。このほか、本堂(御影堂・国宝)は寛永十六年(一六三九)、大方丈・小方丈(いずれも重要文化財)は寛永十八年(一六四一)の建築で、本堂と集会堂と大方丈をつなぐ三角間の長廊は、知恩院七不思議の一つに数えられる「鶯張りの廊下」として有名である。寺宝として「阿弥陀二十五菩薩来迎図(国宝)ほか多数を蔵する。 |
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知恩院 三門 |
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知恩院 和順会館
浄土宗関係の仏教器具や、京都特産の土産物などが販売されている。 |
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知恩院 三門 |
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知恩院 境内案内図 |
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知恩院 三門
三門の階段を上り御影堂に向かう。 |
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知恩院 三門の先に聳え立つ御影堂への階段
10月からほぼ毎週のように散策をしていたので持病の腰痛もだいぶ軽くなっており、まだ体力的には余裕があった。しかし、この階段はまさに聳え立つ、という感じで少し休憩したが上る意欲が萎えてしまった。そのため、散策はここで終了したが、帰京後写真を整理したらこの階段は男坂であり、右脇に女坂があるのに気付いた。距離は増えてもここを通れば、と思った。 |