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生田神社 白木の鳥居
官幣中社生田神社の石碑が格式の高さを示している。 |
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生田神社 白木の鳥居
源平合我の古戦場 史蹟生田の森
世に有名な『源平合戦』の折、西は須磨の一ノ谷から、東はこの生田の森にかけての一帯が戦場となりました。
平家はこの生田の森を大手の木戸口とし、知盛大将軍・重衡副将軍が陣取り防備を固めていましたところ、ここへ源範頼の軍勢が攻め入りました。
この時源氏の若武者・梶原源太景李が境内に咲き誇った梅の一枝を箙(えびら)に挿して戦った事は武士の風流として語り継がれ。現在も「箙の梅」として老梅が境内に植わっています。
この他にも生田神社の境内には、源平の合戦に因んだ史蹟が多数残されています。
古くより文人墨客に愛され多くの歌に詠まれてきたこの森も、現在では都会の真中のオアシスとして、またパワースポット・ヒーリングスホットとして親しまれています。
また、春にこの『生田の森』にて開催される『曲水の宴』は平安の歌遊びを再現した雅な行事としてお楽しみ頂いております。 |
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生田神社 鳥居 |
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生田神社 楼門
11月4日の振替休日なので七五三の親子連れが多く、神戸の土地柄から欧米人の観光客が多い。どこに行っても出没する迷惑な中国人観光客が目立たない。 |
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生田神社 御由緒
当社は稚く瑞々しい日の女神「稚日女尊」をお祀り申し上げ古く神功皇后三韓よりご帰還の砌、御神誨によって「活田長峡国」即ち現今の処に御鎮斎になった由緒高い大社で、神戸の地名は当社の「神戸」から起こったものであります。
古来より朝野の尊崇極めて篤く、生業守護・健康長寿の神として名高く家運隆昌・円満和楽の御神徳を仰ぎ奉らむと、年々多くの神前結婚式をかぞえ、「縁結びの神」として有名であります。
又、平安の昔、文人墨客が名勝「生田の森」を訪れ、その後源平合戦の古戦場となり、近くは昭和二十年六月五日大東亜戦争の戦火により悉く焼土と化し、昭和三十四年四月氏子崇敬者の奉賛により、戦災の復興を成し遂げ、昭和五十九年には式年造替の制を定め、輪奐の美弥々整いましたが平成七年一月十七日未明阪神淡路を襲った大震災により、御本殿をはじめ境内各所に甚大な被害を受けました。然しながら皆様方の不断の努力により平成八年六月、以前にも増して立派に復興し「蘇りの社」とも言われております。更に平成二十一年九月の第三回式年造替に続き、平成二十九年四月には、全ての整備事業を完遂いたしました。
尚、境内には「生田の森」「生田の池」「箙の梅」「敦盛の萩」等幾多の史跡を有し、古くより今日に至るも有名な処であります。 |
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生田神社 拝殿 |
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生田神社 生田の森に向かう |
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生田神社 生田の森に向かう |
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生田神社 本殿の玉垣
いつ作られたのかは分からないが、玉垣の先頭にはかつて神戸で創業したダイエーの創業者中内功の名が刻まれている。 |
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生田神社 西の参道正面 蛭子神社 |
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生田神社 本殿 熱中症計はほぼ安全
現在時刻は10:55で、熱中症計はほぼ安全、温度22.0℃、湿度29%である。
爽やかな秋の好天である。 |
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生田神社 戸隠神社前 生田之森 さざれ石 |
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生田神社 戸隠神社前 生田之森 さざれ石
石碑には「奉祝 天皇陛下御即位二十年」とある。 |
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生田神社 生田の森に向かう |
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生田神社 生田の森 入口 |
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生田神社 生田の森 入口 |
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生田神社 生田の森 かまぼこの発祥地 |
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生田神社 生田の森 かまぼこの発祥地
かまぼこは、魚を美味しく食べるための手段として日本で生まれた伝統製品のひとつです。
その起源を辿っていくと、古くは西暦二〇一年(神功元年)、神功皇后が三韓への遠征の時に、ここ神戸の生田の杜で、すりつぶした魚肉を鉾の先に塗りつけて焼いたものを食べたのが、かまぼこの始まりという伝説があります。
その後、「類従雑要抄」 という古文書に初めて登場し、その中に西暦一一一五年(永久三年)、関白右大臣藤原忠実が移転したときの祝宴の献立があり、「蒲鉾」と名付けられた今のちくわに似ている絵がありました。
かまぼこ業界はこの年号に因み十一月十五日を 「かまぼこの日」としています。
ここ兵庫県は、北は日本海、南は瀬戸内海そして淡路島という自然に恵まれた土地であり、海の幸にも恵まれていたと推測され、古くからかまぼこの誕生、そして今日までのかまぼこ文化の発展に適した土地だと考えられます。
この生田神社で海の恵に感謝し、なお一層のかまぼこ食文化の普及・発展を祈念してここに建立いたしました。 |
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生田神社 生田の森 |
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生田神社 生田の森 縁結びの水占い |
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生田神社 生田の森 |
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生田神社 生田の森から拝殿へ |
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生田神社 ハート型の絵馬 |
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生田神社 七五三の親子連れで賑わう境内 |