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石清水八幡宮H281016

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 石清水八幡宮 西参道 三女神社 石清水八幡宮 西参道 三女神社 
石清水八幡宮 西参道 本殿前階段 石清水八幡宮 西参道 本殿前階段 

右折すると石翠亭休憩所や第3駐車場前広場で、左折して階段を上ると本殿となる。
 石清水八幡宮 西参道 本殿前階段 石清水八幡宮 案内図 石清水八幡宮 西参道 本殿前階段 石清水八幡宮 案内図 

線刻の図で、摩滅で分かりにくい。
 石清水八幡宮 第3駐車場前広場 石清水八幡宮 第3駐車場前広場 

左に石翠亭休憩所、奥にシンボルタワーの涌峯塔があり、写真では見えないが右の奥にエジソン記念碑がある。
石清水八幡宮 第3駐車場前広場 ボーイスカウト像 石清水八幡宮 第3駐車場前広場 ボーイスカウト像 

なんの説明もなく異様な感じもするが、調べたらボーイスカウト綴喜(つづき)第一団が石清水八幡宮を拠点としているそうである。
石清水八幡宮 第3駐車場前広場 シンボルタワーの涌峯塔 石清水八幡宮 第3駐車場前広場 シンボルタワーの涌峯塔 
石清水八幡宮 第3駐車場前広場 シンボルタワーの涌峯塔 石清水八幡宮 第3駐車場前広場 シンボルタワーの涌峯塔 
石清水八幡宮 第3駐車場前広場 エジソン記念碑 石清水八幡宮 第3駐車場前広場 エジソン記念碑 

西暦一八七九年にトーマス・アルバ・エジソンが灯火の革命ともいえる炭素白熱電球を発明しこの石清水八幡宮境内に生えている竹が電球の命ともいえるフィラメントの材料として最も適していることを知り電球発明の翌年から十数年もの永い間この竹を使ってたくさんの炭素電球を造り世界の人々に電灯のありがたさを知らされました。つまり、この八幡の竹が炭素発熱電球の実用化に大きな役目をつとめたのです。
 そこで一九二九年に電灯発明五十年を記念して世界各国で電灯黄金祭が催された時、日本もこれに加わり記念事業の一つとして電球の発明と切っても切れない関係にあるこの土地に記念碑を建てエジソンの功績を永久に伝え讃えることになったのです。
 最初に建てられたのはこの境内北側に続く場所でしたがエジソン彰徳会の手で昭和三十三年にここに移され更に昭和五十九年十月に現在の姿に再建されました。
石清水八幡宮 第3駐車場前広場 エジソン記念碑 石清水八幡宮 第3駐車場前広場 エジソン記念碑 
 石清水八幡宮 西参道 本殿前階段 石清水八幡宮 西参道 本殿前階段 
石清水八幡宮 本殿前参道 「祝国宝 石清水八幡宮」  石清水八幡宮 本殿前参道 「祝国宝 石清水八幡宮」 

平成二十八年二月九日、石清水八幡宮
本社十楝 附棟札三枚が、国宝に指定されました。

 石清水八幡宮は、貞観二(八六〇)年の創建以来。公家や武家をはじめとして、広く崇敬を集めました。
 創建後はたびたび社殿を焼失等するものの、その都度復興し、近世初頭には、天正八(一五八〇)年の織田信長による社殿修復に続き、慶長三(一五九八)年から豊臣秀頼による境内再興が行われました。
 現在の本社殿群は、寛永十一(一六三四)年に江戸幕府に
より造営されたものです。
 本殿は、桁行十一間の内殿と外殿を前後に並べて複合させた、壮大な規模をもつ八幡造本殿で、国内の同形式の本殿の中ては現存最古の最大規模です。
 本社社殿群は、長大な八幡造本殿と、幣殿及び舞殿等を瑞籬や廻廊て囲み、緊密に一体化した構成になり、古代に成立した荘厳な社殿形式を保持しつつ、近世的な装飾を兼備した完成度の高い近世神社建築として、極めて高い価値を持つ建物です。

 平成二十七年十月十六日の文化審議会において審議され、石清水八幡宮本社の国宝の指定について、答申がなされていたものです。
 八幡市において初めての国宝指定となります。
石清水八幡宮 本殿前参道 「祝国宝 石清水八幡宮」  石清水八幡宮 本殿前参道 「祝国宝 石清水八幡宮」 
石清水八幡宮 本殿前参道 石清水八幡宮 本殿前参道 
石清水八幡宮 本殿前参道 石清水八幡宮 案内図 石清水八幡宮 本殿前参道 石清水八幡宮 案内図 
石清水八幡宮 本殿前参道 南総門 石清水八幡宮 本殿前参道 南総門 
石清水八幡宮 本殿前参道 南総門 石清水八幡宮 本殿前参道 南総門 

謡曲「弓八幡」と石清水八幡宮

 謡曲「弓八幡」は男山八幡宮の神徳をたたえ、威武の聖代を祝う曲である。
 この謠を「弓八幡」と名づける事は、八幡大菩薩は源氏の氏神弓矢の守護神であるから弓と矢と幡との三つの兵具に訳して弓矢幡と名付けたのである、とある。
 直な御代のためしであるこの祝言は弓矢を以て戦勝を祝うのてはなく、弓を袋に入れて武をおさめるのてある。
 作者世阿弥は平和論者てある。武家中心時代に於て平和論を唱え将軍専横時代に於てとりわけて皇室を尊敬し奉る、これが一能役者の見識であり熱情であったのてある、と謠曲大観は論じている。
 本宮は貞観元年行教和尚が宇佐八幡に参社して神告を受け、奉請して建立したという。
 石清水八幡宮 境内 楼門、本殿 石清水八幡宮 境内 楼門、本殿 
 石清水八幡宮 境内 楼門、本殿 石清水八幡宮 境内 楼門、本殿 

 1634年に造営された社殿は、10棟が1つの建物のように組み合わさる。中心部となる本殿は八幡造りという建築様式で内殿と外殿という2つの棟が前後に並び、横から見ると屋根がM字型に見えることも大きな特徴。現存するものでは最古かつ最大規模で、非常に貴重な存在。
 石清水八幡宮 境内 楼門、本殿 石清水八幡宮 境内 楼門、本殿 
石清水八幡宮 境内 楼門、本殿 石清水八幡宮 境内 楼門、本殿 
石清水八幡宮 本殿前参道 石清水八幡宮 本殿前参道 
石清水八幡宮 本殿前参道 右折して石翠亭休憩所へ 石清水八幡宮 本殿前参道 右折して石翠亭休憩所へ 



 
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